遠慮なく出してくれ。」
「それも、もうきまっているよ。」
いかにも冷やかすような調子でそう言ったのは馬田だった。彼は窓わくに馬乗りにまたがって、足をぶらぶらさせながら、そのしまりのない唇から舌を出したり、ひっこめたりしている。
「どうきまっているんだ。」
と、田上が不愉快そうに彼の方を見た。
「ストライキさ。」
馬田は田上の方を見むきもしないで答えたが、そのあと、すぐまた舌をぺろりと出した。
「いきなりストライキをやろうというのか。」
「いきなりでなくてもいいよ。しかし、どうせやるなら早い方がいいね。」
吹き出すような笑いごえが二三ヵ所でおこった。しかし、多数は、馬田のあまりにもふざけきった調子に憤慨したらしく、むっつりしている。
ストライキ問題は、しかし、そのあと、自然みんなの論議の中心になってしまった。意見はだいたい三つにわかれた。ストライキ即時断行論がその一つで、これは馬田を中心とする不良らしい五六名が、理論も何もなく、まるでおどかすような調子で主張した。第二はストライキ絶対反対論で、主として論陣《ろんじん》を張ったのは梅本だった。第三は、いわは中間派で、情理をつくして留任を懇請《こんせい》し、それがしりぞけられた場合にはストライキもやむを得ない、という意見であった。この意見の主張者は、とくにきまった顔ぶれではなかった。また議論としてさほどききごたえのある発言もなかった。しかしそれは多数の口で主張され、多数によって支持されていたようであった。
そうした意見が交換されている間、次郎も新賀もふしぎに沈默を守っていた。ことに次郎は、自分の存在をなるだけ目立たせないように、注意してでもいるかのように、馬田とはちょうど反対の廊下よりの机によりかかって、しじゅう首をたれていた。梅本と馬田一派とがはげしくやりあっている最中でさえ、彼はちょっとその方をのぞいて見ただけで、すこしも興奮したようなふうはなかった。ただ彼がいくらか緊張したように見えたのは、論議もだいたいつきて、座長の田上が、「では、この問題の決をとりたいが、多数決できめてもいいのか。」と相談をかけた時であった。彼はその瞬間、急に首をもたげて田上を見、つづいて新賀を見た。そしてまさに立ち上りそうな姿勢になった。しかし、彼が立ちあがるまえに、新賀が発言したので、彼はそのまま腰をおちつけて、また首をたれた。
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