「血だよ。血をもって願うんだよ。」
「血だって?」
「うむ、血だ。五・一五事件の軍人たちは、相手の血で自分たちの目的をとげようとした。しかし、僕たちは、僕たち自身の血でそれを貫くんだ。」
馬田ばかりでなく、みんなが眼を見はった。次郎は、しかし、わりあい冷静に、
「僕はいろいろ考えてみたんだが、日本では昔から、何か真剣な願いごとがあると、よく血書とか血判とかいうことをやって来たね。君らはどう思うか知らんが、僕は今の場合、僕たちの真心をあらわすには、あれよりほかにないと思うんだ。」
みんな顔を見あわせてだまっている。馬田だけがひやかすように言った。
「奇抜《きばつ》だね。しかし、すこぶる野蛮だよ。」
「むろん形式は文明的ではない。僕にもそれはわかっている。しかしストライキほど野蛮ではないんだ。」
次郎も少し皮肉な調子だった。
「すると程度問題ということになるね。さっき君は、ストライキは朝倉先生を侮辱すると言って心配していたが、血書や血判は侮辱しないのかい。」
次郎はちょっと考えた。が、すぐ決然とした態度で、
「形は野蛮でも、それは朝倉先生に対する僕たちの真情をあらわす方法として、ちっともその限度をこえていないんだ。秩序をみだして相手を脅迫するストライキとは、根本的に性質がちがっているよ。だから、朝倉先生を侮辱することにはならないさ。僕はそう信ずる。」
「しかし――」
と、この時、平尾が近眼鏡の奥の眼をしばたたくようにしながら、めずらしく口をきった。
「本田は、いったい、どんな方法で血書や血判をあつめるつもりなんだい。まさかそんなことを全校生徒に強制するわけにもいくまいし。」
「そりゃ無論さ。こんなことはみんなの自由意意でなくちゃあ、意味をなさんよ。だから、僕は、強いて全校生徒からそれを集めようとは思っていない。出来れば五年生ぐらいは全部加わってほしいと思うが、それが無理なら、校友会の委員だけでもいい。それが無理だというのなら、有志だけでも仕方ないさ。」
「しかし、こんなことは、めいめいの自由意志にまかしておくと、ほとんど加わる人がないし、ちょっと勧誘すると、強制になってしまうものだよ。君はそんなことについても考えてみたかね。」
「考えてみたさ。僕が一ばん考えたのは、その点だったんだ。」
「では、どうするんだい。」
「僕は、まず僕ひとりでやる。」
「君ひとりで
前へ
次へ
全184ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング