い者ではありません。今夜一晩ここに寝せてくれませんか。」
と、いやにていねいな調子だった。
「ばかこけっ。」
と、下の声がどなった。
「怪しいものでのうて、こんなところに寝る奴があるけい。」
「泊《と》めてくれる家がなかったもんですから。……」
「理窟はどうでもええ。とにかくおらたちと村までついてくるんじゃ。」
「そうですか、じゃあ行きましょう。」
大沢は、いきなりどしんと土間に飛びおりた。恭一と次郎とは、思わず手を握りあって、息をはずませた。
「一人じゃねえだろう。三人とも行くんじゃよ。」
村の人たちの声には、どこかおずおずしたところがあった。
「かわいそうですよ、今から起してつれて行くのは。ことに一人はまだ小さい一年生ですから。」
「何でもええから、つれてゆくんじゃよ。つれてゆかねえじゃ、おらたちの務めが果たせねえでな。」
しばらく沈默がつづいた。その沈默を破って、次郎が藁の中から叫んだ。
「大沢さん、僕たちも行きますよ。」
「そうか。……じゃあ、すまんが起きてくれ。どうも仕方がなさそうだ。」
大沢が、あきらめたように答えた。
二人が起きて行くと、村の人たちは、めいめいに大きな棒を握って、大沢をとりまいていた。三十歳前後から十五六歳までの青年がおよそ十四五人である。しかし、恭一の品のいい顔と、次郎の小さい体とを見ると、案外だという顔をして、少し構えをゆるめた。
年長者らしいのが、提灯で恭一と次郎の顔をてらすようにしながら、
「おらたち、村の見張りを受持っているんでな。気の毒じゃが仕方がねえ。」
と、言訳らしく言って、
「じゃあ、ええか。」
と、みんなは目くばせした。
外に出ると、青年たちは、三人の前後に二手にわかれて、ものものしく警戒しながら歩き出した。畦道を一列になって歩いたが、かなり長い列だった。提灯が先頭と後尾にゆらゆらとゆれた。次郎は三人のうちでは先頭だったが、自分のすぐ前に、大きな男が棒をどしんどしんとわざとらしくついて行くのを、皮肉な気持で仰いだ。そして歩いて行くうちに、しだいに寒さが身にしみ、踵のあかぎれがつきあげるように痛み出すと、もう「人を愛する」といったような気持とは、まるでべつな気持になっていた。
つれて行かれたのは、この辺の山村にしては不似合なほど大きな門のある家で、玄関には一畳ほどの古風な式台《しきだい》さえついていた。
次郎たちを玄関の近くに待たして、二三人の青年が勝手の方にまわった。しばらくすると、
「ほう、三人、……そうか、そうか。」
と、奥の方からさびた男の声がして、やがて玄関の板戸ががらりと開いた。
「さあ、お上り。」
そう言ったのは、もう八十にも近いかと思われる、髪の真白な、面長の老人だった。
次郎は、山奥に隠栖《いんせい》している剣道の達人をでも見るような気がした。彼は、何かの本で、宮本武蔵が敦賀の山中に伊藤一刀斉を訪ねて行った時のことを読んだことがあったが、それを思い出しながら、おずおず大沢と恭一のあとについて玄関をあがった。
通されたのは、大きな炉《ろ》の切ってある十畳ほどの広い部屋だった。老人は、
「さあ、あぐらをかいておあたり。寒かったろうな。……何でも、今きくと、藁小屋に寝ていたそうじゃが、あんなところで眠れるかの。」
と、自分も炉のはたに坐って、茶をいれ出した。
「ふとんより温かいです。」
大沢が朴訥《ぼくとつ》に答えた。
「ほう。そんなもんかの。で、飯はどうした、まだたべんじゃろ。」
と、老人は柱時計を見て、
「今から炊《た》かしてもええが、もうみんな寝てしもうたで、今夜は芋でがまんするかの。芋なら炉にほうりこんどくと、すぐじゃが。」
時計は、もう十二時をまわっていた。大沢は微笑しながら、
「芋をいただきます。」
「そうしてくれるかの。」
と、老人は自分で立ち上って台所の方に行った。三人は顔を見合わせた。大沢は笑ってうなずいてみせたが、恭一と次郎とは、まだ硬《こわ》ばった顔をしている。
間もなく老人は小さな笊《ざる》を抱えて来たが、それには里芋がいっぱい盛られていた。
「小さいのがええ。これをこうして灰にいけて置くとすぐじゃ。」
と、老人は自分で三つ四つ里芋を灰にいけて見せ、
「さあさ、自分たちで勝手におやんなさい。遠慮はいらんからの。」
「有りがとうございます。」
と、大沢は、すぐ笊を自分の方に引きよせた、すると、老人は、
「なかなか活発じゃ。」
と、三人を見くらべながら、茶をついでくれた。
里芋が焼けるまでに、老人は、三人の学校、姓名、年齢、旅行の目的といったようなことをいろいろたずねた。しかし、べつに取調べをしているというふうは少しもなく、ただいたわってやるといったたずねかたであった。恭一も次郎も、しだいに気が楽になって、たずねられるままに素直に返事をした。
「ここの村の若い衆はな、――」
と老人は言った。
「そりゃあ真面目じゃよ。じゃが、真面目すぎて、おりおりこの老人をびっくりさせることもあるんじゃ。今夜も旅の泥棒が村にはいりこんだ、と言って騒いでな。わしもそれで今まで起きて待っていたわけじゃが、その泥棒というのがあんた方だったんじゃ。はっはっはっ。」
三人はしきりに頭をかいた。
やがて里芋が焼け、話がいよいよはずんだ。
老人は、「若いうちは無茶もええが、筋金《すじがね》の通らん無茶は困るな。」と言った。「あすはわしが案内してええところを見せてやる。」とも言った。また、「そろそろ引きかえして、日田町に一晩泊り、そこから頼山陽を学んで筑水下りをやってみてはどうじゃな。」とも言った。
時計はとうとう一時を二十分ほどもまわってしまった。それに気づくと、老人は、
「さあ、もう今夜はこのくらいにして、おやすみ。寝床はめいめいでのべてな。……夜具はこの中に沢山はいっているから、すきなだけ重ねるがええ。」
と、うしろの押入の戸をあけて見せ、
「炉の中に夜具を落したり、足をつっこんだりしないように、気をつけてな。……便所はこちらじゃよ。」
と、障子をあけて縁側を案内してくれ、しまいに炉火に十分灰をかぶせて部屋を出て行った。
三人は、床についてからも、老人は何者だろう、とか、自分たちは藁小屋の中で夢を見ているんではないだろうか、とか、そんなことをくすくす笑いながら、かなり永いこと囁き合っていたが、次郎はその間に、ふと、正木のお祖父さんと大巻のお祖父さんのことを思い出し、三人の老人を心の中で比較していた。
翌朝眼をさますと、もう縁障子には日があかるくさしていた。起きあがってみて、彼らが驚いたことには、畳の上にも、ふとんの中にも、藁屑《わらくず》がさんざんに散らかっていた。彼らは、幸い縁側の突きあたりの壁に箒が一本かかっているのを見つけて、大急ぎでその始末をした。家はずいぶん広いらしく、近くに人のけはいがほとんど[#「ほとんど」は底本では「ほんど」]しなかったが、掃除をどうなりすました頃、三十四五歳ぐらいの女の人が十能に炭火をいれて運んで来た。
「おやおや、お掃除までしてもらいましたかな。ゆうべは、よう寝られませんでしたろ。」
と、彼女はきちんと坐りこんで、三人のあいさつをうけ、それから、まじまじと次郎を見ていたが、
「お母さんが、心配していなさりませんかな。早う帰って安心させてお上げ。」
次郎はただ顔を赧《あか》らめただけだった。
朝飯は、茶の間で家の人たちといっしょによばれた。広い土間の隅の井戸端で洗面を終ると、そのまま食卓に案内されたが、ゆうべにひきかえて、そこにはもうたくさんの顔がならんでいた。
「さあ、さあ。」
と、七十ぐらいの、品のいい、小作りなお婆さんがまず三人に声をかけた。お婆さんと同じちゃぶ台には、三人の男の子がならんでいて、めずらしそうに次郎たちを見た。昨夜の老人の顔はそこには見えなかった。
次郎たちのためには。べつのちゃぶ台が用意されていた。大沢がお婆さんにあいさつをしてそのそばに坐ると、恭一と次郎とがつぎつぎにその通りをまねた。さっきの女の人がちゃぶ台にのせてある飯|櫃《びつ》と汁鍋の蓋をとって、
「さあさ、めいめいで勝手に盛ってな。」
と、自分は子供たちのちゃぶ台にお婆さんに向きあって坐った。
次郎たちには、葱の味噌汁がたまらなくおいしかった。何杯もかえているうちに、顔がほてって汗をかきそうだった。
食事中に、お婆さんが一人でいろんなことを訊《たず》ね、いろんなことを話した。その話で、三人はおおよそ家の様子も想像がついた。昨夜の老人は村長で、今朝も早く何か特別の用があって出かけたらしい。子供たちの父になる人は、五六里も離れたところの小学校の校長だが、土曜日に帰って来るのだそうである。
「お爺さんは、今日はな、十時頃までに役場の用をすまして帰って来るけに、それまであんたたちに待ってもろたら、と言うとりましたが。……また滝にでも案内しようと思うとりますじゃろ。」
お婆さんは、そう言って、歯のぬけた口をつぼめ、ほっほっほっと笑った。
食事がすむと、子供たちは、いかにも次郎たちに気をひかれているような様子で、学校に行った。老人は、それから間もなく帰って来たが、すぐ三人のために弁当の用意を命じ、自分は炉のはたで一通の手紙をしたためた。
「滝まで行って来るでな。」
お婆さんにそう言って、老人が三人をつれ出したのは、ちょうど十時頃だった。三人はいつものようにお礼の金を置くことも忘れてしまい、渡された竹の皮包みの弁当をぶらさげて、老人のあとについた。
老人の足は矍鑠《かくしゃく》たるものだったが、それでも三人の足にくらべるとさすがにのろかった。しかし、滝までは三十分とはかからなかった。滝は、老人がみちみち自慢したとおり、世に知られないわりには頗る豪壮[#「豪壮」は底本では「豪荘」]なもので、幅数間の、二尺ほどの深さの水が、十丈もあろうかと思われるほどの断崖を、あちらこちらに大しぶきをあげて落下していた。滝壺に虹があらわれ、岩角の氷柱がさまざまな色に光っていたのが、いよいよ眺めを荘厳にした。名を半田の滝というのだった。
寒さも忘れて三十分ほども滝を眺めたあと、三人が老人にわかれを告げると、老人は、懐《ふところ》からさっき書いたらしい手紙を出して、
「たいがいにして日田まで下るんじゃ。日田に行ったら、この宛名の人をたずねて行けばええ。中にくわしく書いておいたでな。」
と、それを大沢にわたした。大沢は、手紙を押しいただいたまま、いつものとおりには言葉がすらすらと出なかったらしく、何かしきりにどもっていた。手紙の宛名には日田町○○番地田添みつ子殿とあり、裏面には白野正時とあった。
三人は、それから、その日とその翌日とを、やはり無計画のまま、やたらに歩きまわった。その間に、竜門の滝という古典的な感じのする滝を見たり、何度も小さな温泉にひたったりした。そしてふところもいよいよ心細くなったので、白野老人のすすめに従って、それからは、まっすぐに日田町に下ることにした。
日田町までは一日がかりだった。町について田添ときくと、すぐわかった。りっぱな医者のうちだった。一晩厄介になっているうちにわかったことだが、みつ子というのはその医者の奥さんで、白野老人の末女に当るのだった。この人がまた非常に親切で、歳はもう四十に近かったが、まるで専門学校程度の、聰明で快活な女学生のようだった。筑水下りの船も、前晩からちゃんと約束しておいてくれたらしく、朝の八時頃には、家のすぐ裏の河岸に、日田米をつんだ荷船がつながれていた。船賃も夫人が払ってくれた。
三人はまるでお伽噺の世界の人のような気持になって船に乗った。船が下り出すと、みつ子夫人は河岸からしきりに手巾《ハンカチ》をふった。
「無計画の計画も、こううまく行くと、かえって恐ろしい気がするね。」
大沢は船が川曲をまわって手巾が見えなくなると、二人に言った。
次郎も恭一も、急流を下る爽快さを味うよりも、何か深い感慨にふけっているというふ
前へ
次へ
全25ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング