田先生の眼に出会すと、彼はわざとのようにたずねた。
「もういいんですか。」
「朝倉先生がいいと言われたら、いいだろう。」
小田先生の答は、どぎまぎしているようでもあり、くさっているようでもあった。次郎はそれをきくとすぐ、きちんと敬礼をして室を出たが、廊下を歩いて行く彼の胸の中には、勝ち誇った気持と、重い荷を負わされた気持とが交錯していた。
彼の姿を見つけた組の生徒たちが、すぐ彼を取りまいて、くちぐちにいろいろのことをたずねた。しかし、真実のこもった声と、そうでない声とを聞きわけるに敏感な彼は、「大丈夫さ」と答えるだけで、何もくわしいことを言わなかった。ただ、新賀に対してだけは、あとで自分から近づいて行って、あらましの成行を話し、
「僕、どうしていいかわからなくなっちゃったよ。」
と、いかにも思いあぐんだように言った。
午後の授業には、ほとんど身が入らなかった。いっそ今日のうちに眼をつぶって宝鏡先生にあやまってしまうか、とも考えてみたが、それには先ず、小田先生に対する気持からして清算してかからなければならなかった。それに、「心にもないことはやるな」と朝倉先生に言われたことが、戒め
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