わけだが、それも、しかし、恭一の胸算用では、もう半分以下に減っており、そろそろ引きかえす方が安全だと思えていたのである。
大沢は、恭一がいつまでたっても返事をしないので、今度は次郎の方を向いて言った。
「どうだい、次郎君、進むか、退くか、今度は君にきめてもらおう。」
次郎は、今から二里の路を引きかえすのは大変だ、という気がした。それに、大沢の言った「進むか、退くか」という言葉が、いやに強く彼の耳に響いた。また、一軒家ぐらいは、もう間もなく見つかりそうだ、という気休めも手伝って、
「進みます。」
と、彼は元気よく立ちあがり、真先にあるき出した。
「多数決だ。」
大沢は恭一を見て微笑した。すると恭一も淋しく微笑をかえして、うなずいた。
「これからが、いよいよ無計画の計画だよ。」
歩き出すと間もなく、大沢がそう言って大きく笑ったが、恭一も次郎もそれには返事をしなかった。
それから十五六分も歩いたが、人家はむろんのこと、人一人にも出逢わなかった。そして、水音は白い泡だけを残して、しだいに闇をくぐりはじめた。路と川との間に、ところどころ杉木立があったが、その陰をとおると、大きな羽根をもった魔物にでも襲われているような気持だった。
「方角はどうなっているんだろう。」
恭一は心細そうにたずねた。
「さあ。」
と、大沢は、せまい空を仰いだが、二つ三つ淡い星が見えただけで、方角の見当は彼にもまるでつかなかった。
「とにかく、上流に向かっていることだけは、間違いないよ。」
彼は、のんきそうにそう言ってから、すぐ、どら声で校歌をうたい出した。すると山彦が方々からきこえ、急に賑やかになったようでもあり、かえって物すごいようにも感じられた。
「本田、歌えっ。次郎君も歌えよ。」
校歌の一節を一人で歌い終ると、彼はどなった。次郎は、しかし、歌う代りに、急に立ちどまって叫んだ。
「ああっ、見つかった、見つかった。……ほら。」
路は、その時、川から二三町ほど遠ざかっていたが、路と川との間には刈田がめずらしく段々になってひらけており、そのずっと向こうの、次郎が指ざした山の根には、小さな藁屋根が一つ、夕闇の中にぼんやりと見えていたのである。
「あれ、家かな。」
と、大沢も立ちどまって、じっとその方を見ていが、
「人の住む家にしちゃ小さいぞ。それに燈《あかり》もついていない。」
「僕、行ってみましょうか。」
次郎はもう路をおりかけた。
「よせ、よせ。」
と、大沢は、いったんとめたが、
「そうだなあ、いよいよ家がこの近くに見つからなかったら、肥料|小舎《ごや》でも何でもいいから、そこに泊ることにしよう。……とにかく探検しておくんだ。」
三人は畦《あぜ》道の枯草をふんで急いだ。行きつくまでには五分とはかからなかった。大沢の想像どおり、それは小舎だったが、真暗な三坪ほどの土間の半分には、藁がいっぱい屋根裏に届くほどつんであり、入口には戸も立てられるようになっていた。
「寝るぶんには、これだけ藁があれば十分だね。」
と、大沢は、しばらく考えていたが、
「しかし、ひもじいだろう。僕、もう少し歩いて家を見つけるから、それまで藁の中にもぐって寝ていたまえ。」
そう言って、彼は、さっさと一人で出て行ってしまった。
彼の姿が見えなくなると、恭一と次郎とは、急に寒さを覚えた。
「僕、そこいらから枯枝を拾って来ようか。兄さん、マッチある?」
「ないよ。大沢君が一つ持ってるきりなんだ。」
「チェッ。」
次郎は思わず舌打をした。
「マッチがあったって、こんなところで火を焚《た》くと危いよ。」
恭一はたしなめるように言った。しかし、彼も飢えと寒さとで、もうがちがちふるえ出していた。
「寝っちまえ。」
次郎は、だしぬけに積藁にとびつき、すばしこくそれをよじ上った。そして一人でごそごそ音を立てていたが、
「兄さん、ここ温かいよ。」
と、もう一尺ほども藁をかぶっているような声だった。
「寝っちまっては大沢君にすまないなあ。」
そうは言いながら、恭一もたまりかねたと見えて、すぐ上って来た。
「ここだよ、兄さん。……二人いっしょの方がはやく温まるよ。」
次郎が藁の底から呼んだ。二人は抱きあうようにして寝た。すると、寒いどころか、しだいにむれるような温かさが藁の匂いといっしょに二人を包んだ。
「こんな旅行、面白いかい。」
恭一がしばらくしてたずねた。
「うむ、面白いよ。……だけどひもじいなあ。」
「僕もひもじい。こんなひもじい目にあったこと、これまでにないね。」
次郎には、しかし、ひもじいということに二通りの記憶があった。その一つは普遍のひもじさで、もう一つは、自分だけがおやつを貰わなかった時のひもじさだった。彼は、今でも、何かにつけ後の意味のひもじさを
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