は眼をかがやかして、先生を見た。
「むろん道理がある。だから、新賀が、良心的にどうしてもそうでなくちゃならんと考えるなら、新賀にとっては、それが最善の道だ。」
「新賀君以外の人にとっては、最善の道ではないんですか。」
「最善の道であることもあれば、そうでないこともあるだろう。全体の調和とか秩序とかいうことを強く念頭に置いている人なら、新賀の考えている以上の道理を考えんとも限らんからね。」
大沢は考えこんだ。恭一は、一人でかすかにうなずいていた。誰も口を出すものがない。次郎は自分の問題が中心になっていることなどもう忘れてしまって、大沢の顔を一心に見つめた。彼の眼には、真剣に考えこんでいる大沢の顔が、これまでの彼とはまるで別人のように映ったのである。
「先生、要するに心境の問題ではないでしょうか。」
恭一が、しばらくして、めずらしく口をきいた。
「そうだよ。心境の問題だよ。」
と先生は、大きくうなずいて、
「一つ一つの事がらの正邪善悪にこだわるのでもなく、さればといって、それに無頓着だったり、良心にそむいて邪悪に妥協したり、また、大沢の言うように、ひねこびた聖人君子の真似をしたりするのでもなく、全体の調和と秩序とのために、ごく自然に行動するというようなことは、心境を練らなくては出来ないことだ。心境を練ることを忘れて、たゞ頭で考えるだけでは、道理以上の道理は決してつかめない。つかめたようでも、いざとなると、やはり一つ一つの事がらの正邪善悪にこだわりたくなったり、自分を偽って聖人君子の真似をしたり、或はいい加減に妥協してしまったりしたくなるんだ。」
「わかりました。」
と、大沢は、膝の上に立てていた両腕に力を入れて、まるでどなるように言ったが、すぐ、にやりと微笑して、
「しかし、先生もずいぶん残酷ですね。」
「何が?」
「そんなどえらいことを、先生は、今日、学校で次郎君に要求されたんじゃありませんか。」
「要求なんかしていないよ。」
「でも、次郎君は、先生の言われたことを一所懸命で気にしていましたよ。」
「そりゃあ、気にするはずだ。気にするように言ったんだから。次郎君が気にせんような生徒なら、私もあんなことを言やあしない。」
「じゃあ、気にするだけでいいんですか。」
「いいか、わるいか、それも次郎君が自分で考えるだろう。」
次郎は、すっかり興奮して二人の対話を聞い
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