でも三人の足にくらべるとさすがにのろかった。しかし、滝までは三十分とはかからなかった。滝は、老人がみちみち自慢したとおり、世に知られないわりには頗る豪壮[#「豪壮」は底本では「豪荘」]なもので、幅数間の、二尺ほどの深さの水が、十丈もあろうかと思われるほどの断崖を、あちらこちらに大しぶきをあげて落下していた。滝壺に虹があらわれ、岩角の氷柱がさまざまな色に光っていたのが、いよいよ眺めを荘厳にした。名を半田の滝というのだった。
寒さも忘れて三十分ほども滝を眺めたあと、三人が老人にわかれを告げると、老人は、懐《ふところ》からさっき書いたらしい手紙を出して、
「たいがいにして日田まで下るんじゃ。日田に行ったら、この宛名の人をたずねて行けばええ。中にくわしく書いておいたでな。」
と、それを大沢にわたした。大沢は、手紙を押しいただいたまま、いつものとおりには言葉がすらすらと出なかったらしく、何かしきりにどもっていた。手紙の宛名には日田町○○番地田添みつ子殿とあり、裏面には白野正時とあった。
三人は、それから、その日とその翌日とを、やはり無計画のまま、やたらに歩きまわった。その間に、竜門の滝という古典的な感じのする滝を見たり、何度も小さな温泉にひたったりした。そしてふところもいよいよ心細くなったので、白野老人のすすめに従って、それからは、まっすぐに日田町に下ることにした。
日田町までは一日がかりだった。町について田添ときくと、すぐわかった。りっぱな医者のうちだった。一晩厄介になっているうちにわかったことだが、みつ子というのはその医者の奥さんで、白野老人の末女に当るのだった。この人がまた非常に親切で、歳はもう四十に近かったが、まるで専門学校程度の、聰明で快活な女学生のようだった。筑水下りの船も、前晩からちゃんと約束しておいてくれたらしく、朝の八時頃には、家のすぐ裏の河岸に、日田米をつんだ荷船がつながれていた。船賃も夫人が払ってくれた。
三人はまるでお伽噺の世界の人のような気持になって船に乗った。船が下り出すと、みつ子夫人は河岸からしきりに手巾《ハンカチ》をふった。
「無計画の計画も、こううまく行くと、かえって恐ろしい気がするね。」
大沢は船が川曲をまわって手巾が見えなくなると、二人に言った。
次郎も恭一も、急流を下る爽快さを味うよりも、何か深い感慨にふけっているというふ
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