並ばされたり、友達に「君は弟より背が低いのではないか」と言われたりすることは、この年頃の青年としては、全く無関心ではあり得ないからである。ところが、その二学期も終りに近づくころから、――言いかえると、父が養鶏事業をはじめて三月ほどもたったころから、――彼の身長は急にのび出し、間もなく俊三をぬいたばかりか、三年から四年に進級したころには、組の生徒を十人ほどもぬいてしまい、四年の夏休みがすんだあとの身体検査では、ちょうど組の真中ぐらいのところまで進んでしまったのである。このことについては、次郎は彼の日記に一言もかいていない。しかし、彼にとってはそれは決してどうでもいいことではなかった。というのは、先す第一に、俊亮やお芳や大巻一家がそれを非常に喜んでくれたし、家主である栴檀橋の茶屋の小母さんが、それでやっと彼を俊三の兄だと確認するようになったし、そして彼自身としては、物ごとが何もかも自然で正常の状態に帰りつつあるように感じ、いよいよ「摂理」の詩を書いてみたい衝動にかられて来たからである。
だが、次郎はまだやはり「摂理」の詩を書くには若すぎていた。「摂理」は、次郎をして真に「摂理」を礼讃《らいさん》せしめるために、なおいろいろと彼のために準備してやらなければならないことがあったのである。その準備の一つは、すでに彼の一家が今度の家に引っこして間もなくからはじまっていたが、それは大巻の徹太郎叔父の結婚を機縁にしたものであった。
徹太郎の結婚式は、俊亮の鶏舎が完成して、ひととおりの落ちつきを見せるのを待ちかねていたかのように、歳暮にせまって行われた。迎えられたのは隣村の重田という旧家の娘で、名を敏子といった。敏子には父母のほかに、兄が一人と妹が一人あり、二人とも結婚式にはむろんつらなっていたが、次郎が、式場にならんだ花嫁方の親類の顔の中で、真先に覚えたのは、この二人の顔だったのである。それは、兄の方は大学の制服をつけていたからにちがいなかった。しかし、妹の方については、なぜだか次郎自身にもはっきりしなかった。同じ年頃――十五、六歳――の着飾った娘はほかにも二三人いたし、顔立にしても、その中で特に目立っていたというのでもなかったが、次郎の眼にはふしぎに彼女の顔だけがはっきり映ったのである。ただ、これは次郎があとになってそんな気がしたのであるが彼女の顔はどこかで見たことのあるよう
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