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照りかわく
ほこり路《じ》に
七十路《ななそじ》の
人の影
いともちいさし
ちさきまま
消えやらぬ
そのかげよ
愛憎は
げにも果てなし
[#ここで字下げ終わり]
僕は、歩きながら、こんな詩を作った。自分ながらいやな詩である。
こんどの家は、なるほど古い百姓家だ。しかし、すぐそばに北山から流れて来る水のきれいな小川がある。小川の土手には松の並木もある。近くに土橋がかかっており、その袂には栴檀《せんだん》の古い木があるので、その橋を栴檀橋というのだそうだ。僕にはその名称も気に入った。それに家が古いといっても、建てかたは頑丈で、土間は馬鹿に広いし、おまけに総二階だ。二階に天井がなく、煤《すす》けた藁屋根の裏がまる見えなのが欠点だが、その代り、松並木や青田が広々と見渡せる。町の店屋なんかよりいくら気持がいいか知れない。
大巻の祖母と徹太郎叔父が手伝ってくれたので、道具は日のくれないうちにあらまし片づいた。夕食も大巻から運んでくれた。大巻の家までは、ほんの二三分である。
八月二十九日
大巻の祖父が村の大工をつれて来て、父と養鶏場設計の相談をはじめた。母もそれにはめずらしく進んで自分の考えをのべた。父はこないだから読んでいた養鶏の本をひろげて、鶏舎の図面などを見ていたが、あまり意見をのべず、たいていは母の考えに従った。そして、「何事も経験だからな」と言った。祖母もそばで相談をきいていたが、あまり機嫌はよくなかった。
八月三十日
朝、俊三と二人で土手をあるき、栴檀《せんだん》の古木を見に行った。思ったほど大きな木ではなかった。木の陰に茶店があったが、中から女の人が出て来て、
「あんた達は本田さんの坊ちゃんでしょう。」
と言った。そうだと答えると、
「まあおはいりなさい。」
と言って、駄菓子などを盆にのせてくれた。横の壁に「栴檀茶屋」という額がかかっている。奥の方にはかなりりっぱな座敷があるらしい。僕には、その女が何だか料理屋なんかにいる女のように見え、変なうちだという気がしたので、すぐ帰ろうとした。すると、
「昨日は主人が留守だったものですから、お手伝いもしませんですみませんでした。お母さんによろしく言って下さいね。」
と、駄菓子を袋に入れて、無理に俊三の手に握らせた。
帰ってから、母にその話をすると、その茶店の主人が僕たちの家主だということだった
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