。」
 次郎は、頭に蔽《おお》いかぶさっていたものを、一時にとり去られて、青い空を仰ぐような気持だった。が、同時に、朝倉先生が、いつの間に自分の心をこれほど深く見ぬいたのだろう、と、何か恐ろしい気もした。彼は、思わず部屋じゅうの人たちの顔を、そっと見まわした。すると、いつの間にはいって来たのか、部屋の入口の、円座から少しさがったところに、奥さんがつつましく坐って、こちらを見ていた。その眼は、次郎の眼をとらえると、にっこり笑ったが、
「ね、わかったでしょう。」
 と、そう言っているような眼だった。
 次郎は、これまで、白鳥会というものを、ただ、真面目な生徒たちの集まりだ、というふうに、ぼんやり考えていたが、この晩の集まりで、先生の心のなかには、もっとはっきりしたねらいがあるということに気がついた。しかも、そのねらいは、誰に向けられているよりも、より多く彼自身に向けられているような気さえしたのである。彼は、それ以来、本を読むにも、人に接するにも、何かこれまでとはちがった角度に立って、ものを見るようになった。ことに、伝記物などを読んでいて、以前なら感心したであろうと思われるところに、あまり感心しなかったり、大して注意をひかなかったであろうと思われるところに、かえって深い興味を覚えたりした。また、おおかた一年近くも、彼の幼い思想の、唯一の拠りどころとなっていた「無計画の計画」という言葉にも、彼は自分で知らない間に、新しい意味をつけ加えていた。それは、もはや彼にとって、単に彼をとり囲む運命の神秘を意味するだけではなく、彼自身の心を、もっと自然な、作為のないものにするための指標として役立つようになっていたのである。
 次郎の幼年時代をくわしく知っている読者なら、誰でも気づいたであろうように、そのころ彼は、精力の半ば以上を、周囲の人々の彼に対する気持を推しはかることに費していた。かつて、私は、「次郎にとって何の自制心も警戒心も必要としないただ一人の相手、嘘であろうと、誇張であろうと、そのままにうけ入れてくれるただ一人の相手、そして、かりに腹を立てあうにしても、腹を立てあうことそのことが愛のしるしでさえあるようなただ一人の相手、それは乳母のお浜だけであった。」というような意味のことを書いたが、じっさい彼は、お浜以外の人のいるまえで、作為のない自然な行動に出たことは、めったになかった
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