じながらも、少しも不服には思わなかった。というのは、彼は、お浜が字が書けなくて、いつも誰かに代筆させていることをよく知っていたからである。
 もっとも彼は、その代筆者を多分お鶴だろうと想像していた。そしてもしそうだとすると、もっと何とか書きようがありそうなものだ、お鶴はもう僕のことを忘れてしまっているのだろうか、などと考えたりした。
 彼は、母を思うとすぐお浜を思い出し、お浜を思うときっと母を思い起した。彼が二人からうけた印象は、色も匂いもまるでちがったものではあったが、それは彼にとって、決して調和しがたいものではなかった。それどころか、彼は、いわば、高く澄みきった暁の星を、咲きさかる紫雲英《れんげ》畑の中からでも仰ぐような気持で、二人の思い出にひたることが出来たのである。暁の星と紫雲英畑とは、もはや彼にとって同時に必要なものになっていた。暁の星だけでは、清澄に過ぎて寂しかったし、紫雲英畑だけでは、何か知ら心の奥に物足りなさが感じられた。彼は、この二つを同時に持つことによって、緊張感《きんちょうかん》と幸福感とを共に味わいつつ、無意識のうちに、彼自身の魂を、永遠と現実との二本の軌道のうえに正しく転じはじめていたのである。
 むろん、彼の周囲には正木一家のひとびとがいて、あたたかく彼を見まもってくれた。正木のお祖父さんは、やはり懐しくも怖くも思われる人だった。お祖母さんは母の死後いよいよやさしくなってきた。墓詣りのたびごとに、母の思い出を語り、ついでにお浜のことを言い出して、次郎を慰めるのは、いつもこのお祖母さんだった。次郎は、しかし、母の死後、この二人が目立って元気がなくなったように見えて、何となく淋しかった。
 謙蔵夫婦や、従兄弟《いとこ》たちには、べつに変ったところもなかった。どちらかと言うと、次郎自身が彼らに対して不必要に気をつかったり、小細工をしたりしなくなっただけに、彼らの次郎に対する態度にも、一層こだわりがなくなって来たと言えたであろう。
 ともかくも、こうして、次郎は正木一家のひとびとに取りかこまれ、しばしば、お浜に手紙を書き、自由に母の追憶にふけっているかぎり、大して不幸な生活をおくっているとは言えなかったのである。
 もっとも、竜一の姉の春子が、いよいよ正式に縁づくことになり、母の死後間もなく、東京に発《た》って行ってしまったと聞いた時には、腹も立
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