っていたものが、父のその言葉で、すっかり拭い去られたような気がして、はればれとなった。そして、それから五六分もたって、もう一度、落ちついて父の言葉を頭の中でくりかえしてみたが、やはり妬ましい気には少しもならなかった。
(恭ちゃんが僕より上等の万年筆をもつのは、あたりまえだ。)
彼は何の努力なしに、そう思うことが出来た。また、恭一に万年筆をもらわないで、そのかわりに、父に買ってもらうとしたらどうだろう、とも考えてみたが、これもむしろ、恭一にもらったことの方が嬉しいような気がした。
二人は、それからあまり口もききあわなかった。口をききあうには、二人の気持が、少し複雑になり過ぎていた。それに、二人とも、口をききあわなければ物足りない、とも感じていなかったのである。
荷馬車に出あったり、土橋を渡ったり、そのほか、少しでも危険を感するような場所では、二人はかならず自転車をおりた。そんな時には、俊亮は、きまって次郎の顔をまじまじと見た。次郎も父の顔を見たが、いつもすぐ眼をそらして、少しはにかむようなふうだった。
二人は、正木につく前に、ちょっと寄道《よりみち》をして、お民の墓詣りをした。そこでも二人はあまり口をきかなかった。しかし、墓地の出口まで出て来たときに、ふと俊亮が言った。
「お前が恭一に万年筆をもらったのを、お母さんもきっと喜んだろうね。」
次郎は默って自分のカバンを見た。その中には、恭一にもらった万年筆が、もう何よりも大事にしまいこまれていたのだった。
三 大きな笑《え》くぼ
二人が正木の家《うち》についたのは十一時を少し過ぎたころだった。正木では、俊亮が午前中に来ると予想していなかったらしく、門口をはいると、みんなが、「おや」という顔をした。
老夫婦は、しかし、二人の顔を見ると、次郎の方にはろくに言葉もかけないで、せき立てるように、俊亮だけを座敷に案内した。
次郎には、それが物足りないというよりは、何かしら気になった。で、カバンを二階の子供部屋の机の上におくと、自分もすぐ座敷の方に行ってみるつもりで、梯子段を降りかけた。しかし、梯子段の下には、もう従兄弟たちが待っていて、やんやとはしゃぎながら、彼を蝋小屋の方にひっぱって行った。
蝋《ろう》小屋の蒸炉《むしろ》には、火がごうごうと燃えていた。従兄弟たちは、そのまえに行くと、めいめいに火|
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