静かな気持に誘いこまれてしまいました。君の孝心がこの名文を書かせたものと思います。」
と記してあった。
次郎は、しかし、先生が朗読をはじめた瞬間、後悔に似た感じに襲われた。ひとりで大事にしまっておいたものを、だしぬけに人に見つかったような気がしてならなかったのである。彼は最初顔をまっかにした。が、朗読が終るころには、むしろ青ざめていた。そして、休み時間になって、みんなが黒坂のそばに押しよせた時には、飛びこんでいってそれを引っぱがしたいような気にさえなった。
次郎にとっては、彼の記憶に残っている実際の母の顔と、墓詣りをするうちに描き出した母の顔とは、決してべつべつのものではなかった。彼自身では、母の顔を二様に思い浮かべているとは、ほとんど意識していなかったほど、まったく自然に、時に応じて、そのどちらかが彼の眼に浮かんで来たのである。彼が、彼なりに社会を持っている場合、つまり、学校や、家庭や、その外の場所で、周囲の人たちと何かの交渉がある場合に、自然に彼が思い出すのは、彼の記憶に残っている実際の母の顔であり、仏壇の前に坐ったり、墓詣りをしたり、夜中にふと眼をさましたりするときに、ひとりでに浮かんで来るのは、観音さまに似た母の顔だった。
もっとも、月日がたつにつれて、この二つの顔は、次郎のその時の気分しだいで、どちらになることもあった。そして、三四ヵ月もたったころには、彼は自分でも気づかないうちに、観音さまに似た顔ばかりを思い出すようになっていたのである。
彼は、乳母のお浜におりおり手紙を書くことを忘れなかった。お墓詣りをした時には、葉書ぐらいはきまって出した。また、綴方の時間に「地下に眠る母」を書いて出したのを後悔していたにもかかわらず、お浜には、三重圏のついたその綴方をそのまま送ってやり、教室で先生に朗読してもらったことまで書きそえてやった。
お浜に手紙を書く時の彼の気持は極めて自由だった。彼は、彼自身のことについてはむろんのこと、彼の周囲のことについても、町の本田一家のことについても、彼の知っていることなら、何でも書いていいような気がしていた。もっとも、実際に書いたのは、たいていお浜が喜びそうなことばかりだった。本田のお祖母さんについては、ただ一度だけ、「お祖母さんは、まだ僕をあまり好きでないようだが、僕はもうちっとも困らない。」と書いたきりだった。
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