の中には、「あの子も苦労をしたものだ」という燐憫《れんびん》の情や、「ともかくも変にそれなくてよかった」という安心の気持や、また時としては、「もっと子供らしいところがあってもいいのに」という遺憾《いかん》の意味やがこめられていたことは、たしかである。だが、それ以上の意味でその言葉をつかっていた者が、果してあっただろうか。
十四歳の少年が、自分というものを一瞬も忘れることが出来ないでいる! 愛を求める自分の心に嫌悪を感じはじめている! 自己をいつわる自分の姿の醜《みにく》さにおびえて、手も足も出なくなっている! そんなことを誰がいったい想像することが出来たろう。
自分を忘れかねている次郎の心を一層|窮屈《きゅうくつ》にしたのは、正木のお祖父さんが、おりおり考え深い眼をして、じっと彼を見つめることだった。次郎はその眼に出っくわすと、いよいよ手も足も出ない気持になったのである。次郎の記憶する限りでは、お祖父さんがそんな眼をして彼を見つめるのは何も今はじまったことではなく、彼が正木に預けられてこのかた、よくあることではあったが、このごろになって、彼はそれがとくべつ気になり出して来たのである。それがなぜだかは、彼自身にもわからなかった。彼はただ、自分が用心ぶかくなればなるはど、その眼に出っくわすことが多くなり、その眼に出っくわすことが多くなればなるほど、いよいよ用心ぶかくならないでは居れない気がするのだった。
「大人《おとな》になった」という言葉が、自然彼の耳にじかに聞えて来ることも、決してまれではなかった。そんな時には、彼は、自分が、いかにもしっかりした人間になった、と言われたような気がして、心の底でいくぶんの誇りを感じた。しかし、同時に、何か淋しい気もした。また、ほめられて喜ぶ自分の心をあざけるような気持にもなろた。彼はそうした複雑な気持をかくすために、人々のまえで、つとめて平気を装うのだった。
こんなふうで、正木の家での彼は、表面取りたてて問題になるようなこともなかったが、それだけに、彼はいつも自己の天真をいつわり、彼自身をますます不愉快なものにしていたのである。尤も、彼がこうして自己嫌悪に似たものを感じていたとしても、それは、もともと彼の負けぎらいから来た人相手の感情でしかなく、その点では、彼はまだ何といっても子供であった。だから、正木の家で、「めっきり大人にな
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