生卵《なまたまご》をねだったりしたが、きょうは誰もそんなことを思い出すものさえなかった。
 お祖母さんは、それからも、じっと坐って二人の顔を見くらべていたが、
「恭一、お前、顔色がよくないようだよ。今日は次郎について行くの、よしたらどうだえ。」
 そして、わざとのように、恭一の額に手をあてて、
「少し、熱があるんじゃないのかい。」
 恭一は、その神経質な眼をぴかりとお祖母さんの方に向けた。が、すぐうつむいて、
「ううん、どうもないんです。」
 と、首を強く横にふった。お祖母さんもそれっきり默ってしまった。
 茶の間で新聞を見ていた俊亮が、ちょっと台所の方をのぞいて、何か言いそうにしたが、思いかえしたように眼を天井にそらして、ふっと大きな吐息をした。
「次郎ちゃん、便所すました? まだ時間はゆっくりだぜ。」
 恭一は、食事をすまして立って行こうとする次郎に言った。
「ううん、大丈夫。」
 二人が家を出たのは、八時を十二三分ほど過ぎたころだった。中学校までは二十分とはかからなかったが、途中、西福寺によって、合宿の連中といっしょに行く約束になっていたのである。西福寺までは七八分だった。
「頭がいたいことない?」
 恭一が家を出るとすぐたずねた。
「ううん、何ともないよ。」
 次郎はわざと元気らしく答えたが、やはり耳鳴がして、頭のしんがいやに重かった。
 西福寺の門をくぐると、もうみんなは本堂の前に出そろって、わいわいさわいでいた。権田原先生も、間もなく庫裡《くり》の方から出て来たが、次郎を見ると、
「どうしたい? 眼が少し赤いようじゃないか。」
 それから、恭一を見、また次郎を見て、何度も二人を見くらべていたが、
「二人で夜ふかしをしたんだろう。駄目だなあ、そんなことをしちゃあ。」
 二人は默って顔をふせた。
「ゆうべ、何時に寝たんだい。」
「九時少しまえです。」
 次郎がすぐ顔をあげて答えた。
「九時まえ? そうか。じゃあ、みんなよりも早く寝たわけなんだね。……ふうむ。……」
 先生はけげんそうな顔をして、またしばらく二人の顔を見くらべていたが、間もなく外套《がいとう》のかくしから、黒い紐のついた大きなニッケルの時計を出して、時刻を見た。そして、
「みんな便所はすましたかね、大便は?……じゃ行くぞ。」
 みんなは元気よく門を出た。次郎もそのなかにまじったが、妙にしょんぼ
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