皆で行ってしまったの。」
次郎は、この二三日、お鶴が学校を休んでいたことを思い出した。
「どこへ行ったんだい。」
「遠いところ、……石炭を掘る山なの。……次郎ちゃんはそんなとこ行ったことないでしょう。」
「乳母やもそこに行くの?」
「ええ。……でも、……でも、ねえ次郎ちゃん、……」
お浜は急に鼻をつまらした。
「乳母やは行かなくてもいいんだい。……僕んちに来ればいいんだい。……僕、父さんに……」
次郎はそう言いかけて息ずすりした。
「次郎ちゃんは、そんなこと出来ると考えて? お母さんやお祖母さんが、きっといけないっておっしゃるわ。」
「…………」
「それに、ほら、こないだも次郎ちゃんは、お祖母さんに大変なことをなすったっていうじゃありませんか。」
「…………」
「ですから、そんなことお父さんにお願いしても、駄目ですわ。……それに次郎ちゃんは、もう乳母やなんかいなくても大丈夫でしょう。」
「だって、僕……」
「いけませんわ、そんな弱虫じゃあ。」
お浜は急にいつものきつい声になって、おさえつけるように言った。
「違うよ。僕弱虫なんかじゃないよ。」
次郎は弱虫と言われて興奮した。彼は、このごろ恭一や俊三に決して負けてなんかいないということを、お浜に話したかったが、どんなふうに話していいか、わからなかった。
「そう、弱虫なんかじゃありませんわね。ですから、乳母やも安心していますの。……でも、お祖母さんに乱暴なさるのはおよしなさいね。お父さんに怒られるといけませんから。」
「だって僕、お祖母さんは大嫌いだい。」
「でも、お祖母さんですもの、仕方がありませんわ。こないだのようなことをなさると、お父さんだって、默っちゃいらっしゃらないでしょう。」
「ううん? 父さん何も言わなかったよ。」
「そう? お母さんは?」
「母さんも、何も言わなかったよ。」
「ほんと?」
お浜は不思議そうに訊ねた。
「ほんとうさ。このごろ母さんは、僕をあまりいじめなくなったんだい。」
「そう? それは次郎ちゃんがお利口におなりだからでしょう。」
次郎はきまり悪そうな顔をしながら、
「こないだ絵本を買ってくれたよ。」
お浜は、つい十日ばかり前に、正木のお祖母さんに、「お民もこのごろ少し考えが変って来たようだから、安心おし。」と言われたことを思いあわせて、いくらか明るい気持になった。
そして
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