はわかっていたんだよ。」
お民の口調《くちょう》は案外やさしかった。
「それでどうして壊したんだね。」
お民は取調べを進めた。次郎は、しかし、その返事にはこまった。実は、彼もそこまでは考えていなかったのである。
「早くおっしゃい。お祖父さんが怒っていらっしゃるんだよ。」
お民の声は鋭くなった。しかし見たこともない算盤について、とっさに適当な返事を見出すことは、さすがの次郎にも出来ないことであった。
と、いきなり次郎の頬っぺたにお民の手が飛んで来た。
「やっと正直に答えたかと思うと、まだお前はかくす気なんだね。何という煮え切らない子なんだろう。……ワシントンはね、……」
お民は声をふるわせた。そして、両手で次郎の襟をつかんで、めちゃくちゃにゆすぶった。
次郎はゆすぶられながら、干《ひ》からびた眼を据えて、一心にお民の顔を見つめていたが、
「ほんとうは、僕こわしたんじゃないよ。」
それを聞くと、お民は絶望的な叫び声をあげて、急に手を放した。そしてしばらく青い顔をして大きな息をしていたが、
「もう……もう……お前だけは私の手におえません!」
彼女の眼からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
恭一は心配そうに母の顔を見まもった。俊三はいつもに似ずおずおずして次郎の顔ばかり見ていた。次郎はぷいと立ち上って、一人でさっさと室を出て行ってしまった。
*
その日は土曜で、俊亮が帰って来る日だった。お民と次郎は、めいめいに違った気持で彼の帰りを待っていた。
次郎は薪小屋に一人ぽつねんと腰をおろして考えこんでいた。そこへ、お糸婆さんと直吉とが、代る代るやって来ては、お父さんのお帰りまでに、早く何もかも白状した方がいい、といったようなことをくどくどと説いた。もうみんなも、次郎を算盤の破壊者と決めてしまっているらしかった。
次郎は彼らに一言も返事をしなかった。そして、父が帰って来て母から今日の話を聞いたら、きっと自分でこの小屋にやって来るに違いない。その時何と言おうか、と考えていた。
(何で俺は罪を被る気になったんだろう。)
彼はその折の気持が、さっぱり解らはくなっていた。そして、いつもの押し強さも、皮肉な気分もすっかり抜けてしまった。彼は自分で自分を哀れっぽいもののようにすら感じた。涙がひとりでに出た。――彼がこんな弱々しい感じになったのはめずらしいこ
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