ノなる。
これを要するに、大師の時代は、東方亞細亞に密教の流布して居つた時代で、已に大唐天子の宮廷の宗教となつて居り、適當な傳法の法器を得れば、將さに、日本にも、渡來せんとする時であつた、大師の識見が、善く此の時代の趨勢を察せられて、大唐の長安に入り、大唐の天子の國師であり、帝師であつた不空三藏の密教を、其の付法の弟子惠果より傳へたのであるから、大師の密教は、日本の宮廷にも入るべきであつた、次第で、大師の一生は、よくこれを遂行して、遠くは、金剛智三藏不空三藏の法統たるに恥ちず、近くは、惠果阿闍梨の寄託に負かなかつた、吾輩は一は、大師の爲めに[#「大師の爲めに」に白丸傍点]、惠果のごとき明師を得たことを賀し[#「惠果のごとき明師を得たことを賀し」に白丸傍点]、一は惠果の爲めに[#「惠果の爲めに」に白丸傍点]、大師のごとき法器によりて[#「大師のごとき法器によりて」に白丸傍点]、密教を日出天子の朝廷に扶植し得て[#「密教を日出天子の朝廷に扶植し得て」に白丸傍点]、千百歳の下[#「千百歳の下」に白丸傍点]、なほ法燈の光を[#「法燈の光を」に白丸傍点]、扶桑の東に輝すことを得たのを賀する次第である[#「扶桑の東に輝すことを得たのを賀する次第である」に白丸傍点]。
しかし、吾輩は、大師の性格につきて、今一つ常に感服して、能ふべくんば、私淑したいと思ふことは、大師が、常に山林烟霞の癖のあつたことで、身は、大唐の上都に入りて、天下の大を見、文章才學一世を曠うした身でありながら歸朝の後は、強ひて卿相に攀縁して、天子の寵榮を徼へよともせず、法の爲め國の爲め、營々として盡されて、遂に身は、深山の白雲の中に隱れてしまつた、是れ吾輩の羨望して已む能はざる所である、仄かに聞く所では、今般、二個の古義眞言宗大學が合併せられて、高野山[#「高野山」は底本では「野山」]の方は京都に移ると云ふことであるが、是は、洵に世の進運に順應したことで、眞言宗全體の上から見て、喜ばしい事である、高野山[#「高野山」は底本では「野山」]は大師の入寂せられた所、平安は、大師の修學せられ、又活動せられた所、長安は、大師が天下の大を見られた所で、大師の遺弟たる青年諸君は、すべからく、大師のなせるに傚つて、大學に入りて修學せられ、古の長安に匹敵する倫敦巴里に赴きて、天下の大を見、歸朝して、密教の擁護に力を効されて、功成り、事遂げたのち、野山白雲の深き所に坐して、靜かに法界秘密心の殿中に自適せねばならぬ、終に臨み下手な長談義に諸君の清聽を汚しゝことは、私の幾重にも、諸君の宥恕を請ふ所であります。(完)



底本:「大師の時代」宗祖降誕会本部
   1913(大正2)年8月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「ネストリアニズム」等の「ネ」は底本では「子」の形をした変体仮名です。
※「パーラ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]」等の「※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]」は底本では「濁点付き井」の形をした変体仮名です。
入力:はまなかひとし
校正:土屋隆
2008年3月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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