て直ちに亞剌比亞民族の邦とするは、政治的にはともかくも、民族的意味から見ますと聊か不當なる心地がせぬでもない。
 論じて茲に至れば將軍米准那の姓字は、亞剌比亞系の「ミール」と波斯系の「ゼーダ」又は「ザーダ」とから成立して居るから、將軍の民族的所屬は大食國ではなかつたか如何、と云ふ問題に到達するが、これに對して私は、唐代に所謂大食國の地理的位置、殊に天寶十二年の初頭に於て、玄宗皇帝が含元殿に於て内外國人の年賀を受けた際、我が國から派遣せられた遣唐大使、藤原の清河や古麿等が最初西畔第二大食國の下に置かれましたが、其の時の大食國はいづれの亞剌比亞人の國であつたか知る由もなく、たゞ舊唐書に大食國は波斯の西にあり、兵刄銛利、戰鬪に勇なりとの記事だけではあまり漠然として居るから、今日の處では「パルテイヤ」帝國の王族と、本末枝幹の關係が甚だ濃厚であつたと見るべき「パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]」國の所屬であつたと云ふに止める。

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