−82]ルマン王の孫に當つたと見えまして、パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]族の習慣に從ひ祖父と同じ名を稱して居ります。ですから、補多の二字をパウトラの俗語化ポータと解して、俗語の形で支那に傳はつたと見ても差支へはありませぬ。金剛智三藏が支那に向はるゝ時代に、南印度の王で、捺羅僧伽の名を冠した王者は此の以外に居りませぬ。此の王の在位の年時は、西暦紀元六百九十年から七百十五年に亙つて居りますから、開元七年または八年、金剛智三藏の入唐の年は西暦紀元で申しますると七百十九年か、または七百二十年ですから、當時は、王位を去りてのち、四年乃至五年經過して居ります。次の王は、パツラ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]王族の習慣に基づき、祖父の名を襲うてパラメーシ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ラ・※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルマンと申しまして、西暦紀元七百十五年から七百十七年まで位に居りました。國を享くること甚だ短くて、至つて薄祐の王であつたらしいのであります。
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Sinha[#nは上ドット付き]−varman(550−575)
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Sinha[
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