ツた。二人は、行き交ふ万人の男女に心を惹かれてきたよりも、もつと稀薄な恋心で、いはば獣の情慾で露骨に結び合つたのだ。それでも呂木は、死のためになら別なふうに、たとへば宝石を愛すやうに愛せることを確信した。存在が絶滅し去ることの凄艶な美しさ――その、生きるものの考へあたはぬ白熱の美を、呂木は最も壮大な、そして静かな形のなかに、不思議に其れを実感のなかで夢見たやうな心持がした。
 ある孤独な日、あらゆる悪罵に疲れてのち、宝石の形に女を見た。そして、濡れた舷側から眺められた晴れた日の透きとほる空を思ひ、ときのまの甘さに飽いて、つめたい欠伸《あくび》をまた吐き棄てた。
 働くことも不満ではなかつた。女と別れることも悲しくはなかつた。そして、死ぬことにも不満はなかつた。
 さういふ幾日がすぎて、呂木は女に別れ、別の漁場へ去つた。

 たまたま古い絵葉書のやうになにがしのことを思ひ出した日、呂木は不思議に歴々と、放浪のころ、旅籠《はたご》の庭で桐の葉を截つた宵を想ひ泛べた。何人か垣根の蔭に佇んで呂木を窺ふものがゐた。静かに離れ、いつてしまつた。――そして呂木は、激しい瞑想に耽る人、決して呂木に物言はぬ冷い男、自分の影をまた知つた。歎息よりもまだ寒い永遠の他人を呂木は視凝めた。
 むかしアラビヤのアルシミストは営々として「哲学の石」を無駄に探した。哲学の石は全ての石を黄金に化すといふのであつた。
 呂木は思つた。ちやうど自分は、愚かしい智学の石を自分の中に懐きつゞけた宿命の人ではなかつたのか、と。自分の無役な一生は、畢竟石を金とするために、そして寧ろ、石を金としたために喘ぎとほしてきたのではなかつたか、だがそれは、所詮苦笑にも価ひせず、泪にも価ひしないに違ひなかつた。

 それからの呂木はすてばちを愛した。破壊のみ唯一の完成であることを考へられてならなかつた。そのころ酒が味と喜びを失つてゐたが、呂木は無理に酒をのんだ。
 港と季節が流れ、そして呂木は、それ程の時もたたぬうちにひどく疲れてしまつた自分を見出して、もはや白日を歓喜する熱狂にさへ乗りきれない自分をあはれんでゐた。落胆それ自身が老いてしまつた自分を見た。哲学の石は育てることも捨てることもできない。
 そして彼は広大無辺な落胆のなかに、無味乾操な歎きを知つた。



底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
   1999(平
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング