らう。高い精神から生み出され、選び出され、一つの角度を通して、代用としての言葉以上に高揚せられて表現された場合に、之を純粋な言葉と言ふべきものであらう。(文章の練達といふことは、この高い精神に附随して一生の修業を賭ける問題であるから、この際、ここでは問題とならない。)
「一つの作を書いて、更に気持が深まらなければ、自分は次の作を書く気にはならない」と、葛西善蔵は屡《しばしば》さう言つてゐたさうであるし、又その通り実行した勇者であつたと谷崎精二氏は追憶記に書いてゐるが、この尊敬すべき言葉――私は、汗顔の至であるが、葛西善蔵のこの言葉をかりて言ひ表はすほかに、今、私自身の言葉として、より正確に説明し得る適当な言葉を知らないので、先づ此の言葉を提出したわけであるが――この尊敬すべき言葉に由つて表はされてゐる一つの製作精神が、文字を、(音を、色を)、芸術と非芸術とに分つところの鉄則となるのではないだらうか。
余りにも漠然と、さながら雲を掴むやうにしか、「言葉の純粋さ」に就て説明を施し得ないのは、我ながら面目次第もない所とひそかに赤面することであるが、で、私は勇気を奮つて次なる一例を取り出すと
前へ
次へ
全23ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング