で時々米をくれたり芋をくれたりしますから」
「お前は乞食か。ふん、気の毒な引揚者か。そして、村の者はオレの悪口を云うてるのだろう。オイ、オレのうちの台所へ来てみろ、米なんか一粒もないぞ。気の毒な引揚者のお前の方がゼイタクなもの食ってるのだぞ。やせても枯れても、第一、オレは乞食はやらん。キサマ先祖の顔に泥をぬるな」
「引揚げ者の無慙な立場も察して下さい。生きるためには乞食もしなければならないのです。子供が五人もいて、泣きつかれては、乞食でも何でも、米が欲しい芋が欲しい、卑屈なことでも、やる気にならざるを得ないのです」
「オレはやらんじゃないか。オレはこの三日一粒の米も食べておらん。オレの子供は芋ばかり食ってる。この村で、こんな悲惨な生活してるのはオレのところだけだぞ。それでもオレは乞食はやらん」
「兄さん、済みません。オレの米、すこしですが差上げましょうか」
「乞食した貰い米はいらん」
「いや、兄さん、マル公の値段は払っていますよ」
「そうか。そんなら、オレもマル公で買うてやる」
正一郎は幸蔵のたった三升ほどの米を、ていねいにはかって、ちょっきりマル公だけの値段を払った。もちろん、その米は衣子や貞吉には食べさせない。握りめしにして、彼らだけ、オヤツに食うのである。
衣子は婚礼衣裳やら、結婚するとき、タンスに七ツほど衣類をいっぱい持たされたから、それを売って、生活には困らなかった。
貞吉は全然自分の所持品というものがない。正一郎が食わしてくれるものはチョッキリ配給のものだけで、余分のものは食事以外のところで、自分たち親子だけで食うようにしているから、貞吉はいつも腹がへっている。
戦争中も、捕虜になっても、腹がへり通しであったが、母国へきてもまだへり通しで、捕虜の時よりもひどい。
倖《さいわ》い、衣子が食べさせてくれる。
子供の時から貞吉は衣子とは本当の兄と妹のように育ったから、彼の帰還をともかく親身に迎えてくれたのは衣子だけで、然し八年の空白をおいて十六の女学生から二十四の出戻り娘にうつると、これが同じ衣子か、さっぱり正体が分らない。
なるほど美人だ。変に色っぽいところがある。多情淫奔のタチかも知れぬ。妙に太々《ふてぶて》しく、度胸をすえて人生を達観しているようなところもあり、腹の中に何を企らんでいるか見当がつかないような感じであった。
「お前、いつまで、こゝにいる気か」
貞吉がそうきいても、
「先のことは分らないわ。今にどうにか、なるでしょう。成行にまかせているのよ」
と答えて、平然たるものであった。
「オレはそのうちヤミ屋を開業するから、そのとき、お前、資本をかしてくれるか」
「なんのヤミ? 大ヤミ?」
「イヤ、小ヤミだよ。細々と食うだけのことさ。オレには仲間もなければ、然るべきツテもないから、まア、リュックをかついで汽車で往復する、一番しがないヤミ屋だ。この村に間借りをして、そこを本拠にして、東京と往復してもできるじゃないか。戦争に負けると便利なものだ」
「そうね。わりあい便利な世の中だわね。私もタケノコで一人前にやってのけるのだもの。テイチャンが一人前のヤミ屋になったら、東京でくらすといゝわ。私もそのとき東京へ行って、何かするかも知れない」
「何をするんだ」
「まだ、分らないわ。何か、しなければ、ならないでしょう」
衣子の平然たる笑い顔は、まったく腹のわからない妙なものだった。何をやる気だろう。パンパンをやる気かも知れぬ。それぐらいのことは平然と考えかねないところもあるが、また何か、途方もないデッカイ夢をいだいているようなところもあった。
この村へ疎開している三好光平という文士は衣子が好きな様子で、毎日のように遊びに来て、話しこんで行くが、三十六の光平よりも衣子の方が大人に見える。
光平は風景がどうだとか、情趣がどうだとか、伝統がどうだとか、風味とか、風韻というようなことを言う。そういうものは衣子には全然通じないのである。衣子が見ているものは、そういうものゝもっと奥の底の方にあるらしい。
それは、こういう金と慾の原始純粋な形態にだかれて、平然とアグラをかいて一人タケノコ生活をしている衣子だから、お体裁みたいな風流談義が馬耳東風なのであろうが、貞吉も時々小憎らしい奴だと思ったり、可愛いゝ奴めと思うこともあった。
彼はビルマのジャングルとそれからの捕虜生活に、実は文明ということを全く忘れた物思いに耽っていた。つまり彼はあのサルウィン河のほとりのビルマの娘と一緒になって、本当に原始さながらの土民生活がしたい、いや、してもよい。そうして彼は、その空想の中の自分を、空想というよりも全部の思想、自分の全部のもの、つまりそのころは全くほかに思想というものがなかった。もう気持もなかった。今もってそのまゝ何も思想
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