、名古屋の坊主もいた。北海道の百姓もいたし、伊勢の客引きもいた。職工も土方もバクチ打もいたのだ。この村の若者も北京に暮し、広東で鶏を盗み、アンコールワットを見物し、まったく村の生活のスケールをはみだして暮してきたに相違ない。女どもだってそうなんだ。名古屋の軍需会社の庭土の上へ伏せて、自分の隣の女工までは吹きとばされたりハラワタが飛び出ていたりした。同じ会社の社員と熱海へアイビキに行ってきたのもいるし、待合で芸者の代りに課長を接待し、いつも絹布のフトンにねむったわよ、という娘もいた。
 山河は昔ながらでも、若者たちは雑然と体をなさゞる何物かであるという外に、何物でもない、というのが当然に思われる。然し、村の小学校の講堂で、ともかくジャズバンドの演奏につれて芋を洗うように組つき合ってゴロゴロのたくりまわっている男女たちは、まるで土の中の野菜が夜陰に一堂に会して野合にふけっているような感じであった。
 兵隊と戦争、貞吉の見て生きてきた戦争の風景や生態も原始そのものゝ感じであったが、然し、戦争と兵隊もこれほどまでに原始的であったことはない。貞吉もサルウィン河のほとりで土民の娘にたわむれて来たが、そして、そこにはジャズバンドも、電燈すらも、女には紅も着物すらもなかったが、動物や野菜の野合よりもチョット人間的な、小さな虚無と詩があったような気がする。
 然し、貞吉は野菜の組うちを憎む気持はない。反撥も怒りもない。すこし、同化しにくゝ、むずかゆいような気がしたが、百姓だの八百屋だの郵便配達だの坊主だの女工だの、小さな自分の生活範囲、二里四方ぐらいの空間に限られた世間の外には考える生活もなかった人々が、自分の意志とは関係なしに北京だの上海だのマニラだのシンガポールという人種の違う国へでかけて、勤労とか経済とか生計という当然の生活通念もなしに漫遊旅行をしてきた。そういう洋行帰りというものが、こんな風になるのも別におかしくはない。そうして、洋行さきのどこにも無かった形のものが、キノコみたいに、珍妙な恰好でこんなところへ出来上ったというのだろうか。まったくこんなキノコは貞吉の洋行さきのどこにもなかった。そのバカバカしさは彼を愉快、陽気にさせる性質のものだった。
「あ、おい、君、ちょっと。オレと踊ろうや」
 と貞吉は一人の女を呼びとめた。
 この娘はさっきからチョイ/\貞吉を意識して、彼に
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