こゝにいる気か」
貞吉がそうきいても、
「先のことは分らないわ。今にどうにか、なるでしょう。成行にまかせているのよ」
と答えて、平然たるものであった。
「オレはそのうちヤミ屋を開業するから、そのとき、お前、資本をかしてくれるか」
「なんのヤミ? 大ヤミ?」
「イヤ、小ヤミだよ。細々と食うだけのことさ。オレには仲間もなければ、然るべきツテもないから、まア、リュックをかついで汽車で往復する、一番しがないヤミ屋だ。この村に間借りをして、そこを本拠にして、東京と往復してもできるじゃないか。戦争に負けると便利なものだ」
「そうね。わりあい便利な世の中だわね。私もタケノコで一人前にやってのけるのだもの。テイチャンが一人前のヤミ屋になったら、東京でくらすといゝわ。私もそのとき東京へ行って、何かするかも知れない」
「何をするんだ」
「まだ、分らないわ。何か、しなければ、ならないでしょう」
衣子の平然たる笑い顔は、まったく腹のわからない妙なものだった。何をやる気だろう。パンパンをやる気かも知れぬ。それぐらいのことは平然と考えかねないところもあるが、また何か、途方もないデッカイ夢をいだいているようなところもあった。
この村へ疎開している三好光平という文士は衣子が好きな様子で、毎日のように遊びに来て、話しこんで行くが、三十六の光平よりも衣子の方が大人に見える。
光平は風景がどうだとか、情趣がどうだとか、伝統がどうだとか、風味とか、風韻というようなことを言う。そういうものは衣子には全然通じないのである。衣子が見ているものは、そういうものゝもっと奥の底の方にあるらしい。
それは、こういう金と慾の原始純粋な形態にだかれて、平然とアグラをかいて一人タケノコ生活をしている衣子だから、お体裁みたいな風流談義が馬耳東風なのであろうが、貞吉も時々小憎らしい奴だと思ったり、可愛いゝ奴めと思うこともあった。
彼はビルマのジャングルとそれからの捕虜生活に、実は文明ということを全く忘れた物思いに耽っていた。つまり彼はあのサルウィン河のほとりのビルマの娘と一緒になって、本当に原始さながらの土民生活がしたい、いや、してもよい。そうして彼は、その空想の中の自分を、空想というよりも全部の思想、自分の全部のもの、つまりそのころは全くほかに思想というものがなかった。もう気持もなかった。今もってそのまゝ何も思想
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