なくなって、万事都合がよろしい。
貞吉はたゞヘラヘラと変テコな笑い顔で、ウンともスンとも返事をしないから、正一郎は馬鹿な奴めという顔をして、
「なア、オイ、お前には分家分禄、そんなもの、ありゃせんぞ。御覧の通り、敗戦以来、地主は田地召しあげ、食う米はない、ヤミの米買う金もない、半年あとに新憲法、どっちみちお前を分家する必要もなし、分禄してやる必要もない。新憲法施行の日から、オヌシは独立の一家の主人、よその旦那だから、このウチから黙って出て行って貰う。分るだろうな。いゝも、悪いもない。承知、不承知もない。法の定めるところだ。だから、忠雄の五万円、お前が継ぐのが身の為だ」
「新憲法はいつからだね」
貞吉がきくと、正一郎は渋い顔を深めて、
「何の用がある?」
新憲法施行の前に、貞吉が訴訟を起すとでもカングッタ様子である。
「兵隊から帰ったばかりだから、新憲法が何だか、オレは何も知らんよ。いつから新憲法になるだね」
「来年の五月五日だ」
「なるほど。その日から他人だね。じゃア、それまでネバろうや」
「何をねばるんじゃ。入聟の返事か」
「居候のことさね。その日がきたら、出て行くことにしよう」
こういうことになっているから、貞吉の生活はあと半年ほど安泰で、村のチンピラ娘でも口説かなければその日を暮す当もないのである。
貞吉にも、それとなく当座の目当はあった。さしあたりヤミ屋をやろうということだ。つとめる当もなく、手に特別の職もないから仕方がないが、便利の時世で、右から左へ物をうごかすと、金になる。敗戦というものが、こんなに気楽に暮しよいものなら、結構なものだ。昔は物を右から左へ動かしたって、一文にもならぬ。
こういう便利な当があるから、貞吉は内々安心している。ノホホンとしていても、それとなく目にふれる限りのヤミ屋の流儀を観察して、他日にそなえる心構えが自然に生れているのである。
然し、正一郎は実際ヤリクリ四苦八苦であった。もっとも火の車だからヤッカイ者を邪魔にするわけじゃない。元々相当の大地主、金満家であったときからヤッカイ者は大のキライで、わが持てる物がいくらかでも減るということは、もてる物が多いほど、尚つらく口惜しく無念なものであるという正一郎の見解であったが、少いものが減るのもヤッパリ同じように無念なものということが分った。
田地は召しあげられて米は配給に
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