ばかりであった。彼の腹の底も知れないし、彼の強さも底が知れなかった。いつになってもその正体がつかめないのだ。
彼は大国の大領主ではなかったが、彼が老いて死ぬまでは誰も彼を亡すことができないように見えたのである。
ところが彼が奪った血が、彼の胎外へ流れでて変な生長をとげていたのだ。そして意外にも、彼が奪った血によって、天の斧のような復讐を受けてしまったのである。
★
土岐頼芸を追放してその愛妾を奪ったとき、彼女はすでに頼芸のタネを宿していた。したがって最初に生れた長男の義龍《よしたつ》は、実は土岐の血統だった。
もっとも、この事実の証人はいなかった。ただ義龍がそう信じたにすぎないのかも知れない。道三はそれに対して答えたことがなかった。
義龍は生れた時から父に可愛がられたことがない。長じて、身長六尺五寸の大男になった。いわば鬼子である。しかし、道三はそうは云わない。
「あれはバカだ」
と云った。
ところが、義龍は聡明だった。衆目の見るところ、そうだった。その上、大そう努力勉強家で、軍書に仏書に聖賢の書に目をさらし、常住座臥怠るところがない。父道三を憎む以外は、すべてが聖賢の道にかなっているようであった。
道三は義龍の名前の代りに六尺五寸とよんでいた。
「生きている聖人君子は、つまりバカだな。六尺五寸の大バカだ」
道三はそう云った。そして次男の孫四郎と三男の喜平次とその妹の濃姫《のひめ》を溺愛した。
「孫四郎と喜平次は利発だな。なかなか見どころがある」
道三は人にこう云ったが、次男と三男は平凡な子供であった。彼は下の子ほど可愛がっていた。
天文十六年九月二十二日のことであったが、尾張の織田信秀が美濃へ攻めこんだ。稲葉城下まで押し寄せて町を焼き払ったまではよかったが、夕方突然道三の奇襲を受けて総くずれになり、五千の屍体をのこして、わずかに尾張へ逃げ戻ったのである。
尾張半国の領主にすぎない織田信秀にとって五千の兵隊は主力の大半というべきであった。この損失のために信秀の受けた痛手は大きすぎた。イヤイヤ信秀に屈していた尾張の諸将のうちにも、信秀の命脈つきたりと見て背くものも現れはじめた。
信秀は虚勢を張って、翌年の暮に無理して美濃へ攻めこんだ。もっとも、稲葉城下へ攻めこんだわけではなく、城から遠い村落を焼き払って野荒ししたにすぎ
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