けだ」
「用がなかったからだ」
「ヤイ。顔を見せろ。ウーム。オレの人相の見立てが狂うとは思わないが、どうも、分らなくなってきた。まア、いいや。ドロボーと知れた方がいッそ話がしいいだろう。オレがお前をつれてきたのは外でもない。これも人相の見立てからだが……」
 タバコをくわえて火をつけたのは、気をしずめる必要にさしせまられてのせいらしい。ここへ辿りついてからは、思わぬことの連続だ。
「オレがかねて目をつけていた工場があるのだが、オメエが一汽車おくれた間に、オレがさっきその前を通りかかると、夜勤の警備員を求むてえハリ紙があるのを見つけたのだ。そこでオレが大急ぎで新宿駅へ駈け戻ったのは、オメエを探すため、ピリリとひびいた第六感てえ奴だなア。オレの気に入ったのは、引揚げ者の風体と、何よりもそのフクロウだな。誰の目にも実直な夜番にはこの上もない適役と見立てたくなる風態だ。オメエが工場長に面会して、ただいまシナから引揚げて参りましたが、宿無しですからどうぞ夜番に使って下さい、と頼んでみろ。願ってもない奴がきたと大喜びで使ってくれらア。これがオレの第六感。その時ピリッときた奴なんだな。外れッこないから、やってみろ。工場へ住みこむのさ」
「わるくないな」
「オメエ、やる気か」
「やりたいね」
「ウーム。しかし、どうも、信用ができねえな。オメエ、いくら、欲しい。山わけか?」
「金はいらないや」
「フン。時々、返事が気にいらねえな。工場へ住みこんでドロボーの手引きはするつもりだろうな」
「宿がないから、住みこむのさ。昼間ねていられるのも気に入ったな。絵をかくには、夜の方が静かでいいよ」
「オレがドロボーだてえことを承知の上での言い草なら薄気味わるい野郎じゃないか。それとも、テメエ、薄バカか。イヤ、イヤ。オレの指先の早業を見ぬいたからにゃア、薄バカどころじゃアねえや。さては、テメエ、兇状もちだな。シナで人を殺しやがったろう」
「戦争中だもの。それにオレは兵隊だから、オレのタマに当って死んだのが二三人はいたかも知れないや」
「ウーム。わからねえ」
 ドロボー君は相手の顔相を横目で睨んで考えこんだが、そこへ外の階段を登ってくる跫音《あしおと》がきこえたから、ハッと様子が改り、
「シッ! オレがドロボーだてえことをオタツに云っちゃアならねえぞ」
 オタツが買い物から戻ってきた。

          ★

「押入れが明けッ放しじゃないか。米ビツのフタが外れてるじゃないか。この野郎にお米をとがせたのかい?」
「うるせえな。仕事の旅からいま戻ったばかりの男に、やさしい言葉で物が言えねえのかよ。アレ四合ビンじゃないか。なんだって一升ビンを買ってこねえ」
「一升ビンで買ったって正味一升。コップ一パイのオマケがつくわけじゃアないよ。オマケのつかない物をまとめて買うバカはいないよ。私の買い物をツベコベ云うヒマがあったら、その野郎を階段から掃き出しちまいな」
「仕事を手伝ってくれる奴なんだから、あたたかい気持で見てやんなよ。オイ、こッちへきて一パイやんな」
 四合ビンを持ちあげてシシド君に呼びかけると、オタツが四合ビンをひッたくッた。
「あの野郎にのませるお酒じゃないよ。ソースでも、のませるといいや」
 これを聞くとシシド君、ムラムラと人生がたのしくなってきた。金魚のように見えるがハリアイのある女だ。からかってやりたくなったのである。
 ノッソリ立ち上って六畳へ。チャブダイの上の買いたてのソースビンを手につかみ、フタをとって口につけようとすると、
「この野郎!」
 オタツがソースビンをひッたくった。ソースビンを部屋の片隅へ持ち去る。ついでにヒシャクに水を一パイくんできて、
「これでも、くらえ!」
 ヒシャクの水をシシド君にぶッかけた。この水をまともに顔にくらったから、シシド君、歯をくいしばり、惨敗の形相である。ようやく袖で顔をふき終り、
「実に、おどろくべきケチだ」
「なにイ!」
「それ、それ。その調子だから、ソースビンをひッたくッてソースをぶッかけるかと思ったら、ソースをテイネイに隅の戸ダナへしまってきて、水をぶッかけたから感心したのさ。実に、見上げたケチだ」
「この野郎!」
 オタツはヒシャクを左手に持ちかえ、右手のコブシをつくってシシド君の胃を一撃した。
「ウッ!」
 シシド君、胃袋の上を押えて、よろめく。歯をくいしばって、必死にこらえて、ともかく三畳まで戻ってきてバッタリとリュックにもたれて、
「ウーム。ヒシャクを左に持ちかえ、右のコブシで打つとは、なんたるケチ。一挙一動、言々句々、ケチならざるはない。ドロボーの二号にしてこのケチあり」
 と言いかけて、あわてて最後の句をのみこんだ。

          ★

 カツレツも一ツしか買ってこない。オタツ自身もカ
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