らく彼等以上に逆上して、くひつくやうに喚き立てずにゐられなかつた。
「はじめつから大ヨタにきまつてるよ。こんなカマキリみたいな女が工場の社長の令嬢だつて! 自家用自動車が迎へにくるとは、言ひたいことを言つてやがら。のぼせあがるのもほどがあるよ。だいたい言はせておく人がまちがつてるのさ、ばか/\しくつて話になりやしないぢやないか!」
 松江は涙に眼がくらんだ。もしもタツノが相手になるなら、いや安川がタツノの味方をしてもいい、二人を相手に血まみれの喧嘩をする気で息をのんで突つ立つてゐた。
 安川は松江の相手にならなかつた。タツノの相手にもならなかつた。投げつけられて当つた物が多少の傷をつくつたが、怒る気にすらならなかつた。
 安川は松江が鋭く感じたことを、違つた角度でもつと鋭く感じてゐた。思ひあがつてゐるのだ。たしかに、思ひあがつてゐる。それはタツノの性格的なものではなく、まつたく一に自分との相対的なものであるのを認めなければならなかつた。やつぱり自分の献身的な仕へやうを、恋のためと誤解してゐるせゐによるのだ。さういふタツノの思ひあがつた有様は、かつて以前も感じたやうに、奴隷を見下す王女のやうなものであつた。それはたしかに滑稽だつた。然しタツノが手当り次第の本やインクを投げつけるのを、まるで白痴か不死身のやうに敢て怒りもしなければ身をよけもせず、当るものは勝手に当らせ、痛む傷は勝手に痛ませ、かうして黙つて立つてゐるのがとりわけ不快なことでもなく莫迦々々しいとも思はない自分の奇妙な暢気さに安川はふと気付くのだつた。俺はタツノの奴隷になるのが別に不快でないらしいと彼は思つた。それどころか、この状態を自然のままにほつたらかしておきさへすれば、自分の中の最も自然な傾向が、タツノを王女にまつりあげ、自分をタツノの奴隷にひくめ、動きのつかないどたんばへまでずる/\と落ち放第に落ちこんでゆく感じがあつた。そのどたんばへ行きついても自分は悔いることがなく、痴呆のやうにてんで平気でゐられるやうな、ひどく暢気な気持がしたのだ。
 そんな気持をとりとめもなく捏《こ》ねまはしてゐる一方に、彼はまつたく違つたことを、ぼんやり思ひあててゐた。あたかも奴隷の敵愾心でもあるかのやうに、タツノの痩せた肉体が彼の劣情の対象となり、その醜悪な新鮮さを夢の心持で追ひまはすのが、小春日和のそぞろ歩きを思はすやうなひどくけだるい快感を与へた。この醜怪な、驕慢な孔雀の羽を頭につけた鶏のやうな女王であつた。その鶏をあぶり肉にしたやうな食慾をそそる肉感だつた。様子の違つた驕慢のために、はじめて花をひらいたやうな肉体であり、その花を無残にむしり、踏みちぎるのがこよない愉悦を彼に予約してくれる。舌なめずりといふ言葉が、この宴席をまつ心にいちばん美しく当てはまる。自分がタツノを引取つたことも、他意ない純情で応じたことも、すべて自ら心付かざるカラクリであつて、驕慢の花を咲かせるために計算された微妙な過程であつたやうな、ひどくいい気な思ひさへした。

 安川の疲れた頭に驕慢の花がこびりつき、彼は夜がねむれなかつた。けはしかつた表情が急にだらけて、ふやけたやうに纏まりがなく、厚顔無恥のあくどさや八十親爺の猥褻がありあり刻まれてゐないかと、彼は顔を見られることがひどく気懸りになりだした。
 ある日盛りのことであつた。安川が二階の書斎へ本をとりに入らうとすると、タツノがそこに昼寝してゐた。×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××。
 安川は人一倍小心で臆病者の自分の本性を知つてゐたが、地震だ猛犬だ喧嘩だといふ咄嗟になると胸は早鐘をついてゐても反射的に居据わる度胸がついたりした。案外人にあいつは図太い神経があると言はれたりして内心いささか照れざるをえぬ破目になつたが、さういふ誤魔化しのどうにも利かない場合があつて、××××××××××といふやうなものがそれの最も本能的に甚しい場合であつた。多少とも××××××やうな対象には思はずヒョイと眼をそむける。ゐたたまらない気持がして彼は逃げだすことがあつた。それは安川の清潔さと凡そゆかりのないことで、さういふ羞恥が強いだけ助平根性も激しいわけだと彼は誰への気兼ねでもなく、自覚せざるをえないのだつた。
 タツノの××××姿をみると、安川は咄嗟に首をねぢむけた。反射的に身体が逆をふりむかざるを得なかつた。安川はひどくあわてて階段を駈け降り、逃げる気持がとまらなくて、階下の部屋を次から次へぐるぐる一巡したあげく、台所では急に水を意識して、喉のかわきと全く縁のない水のひどいまづさを噛みしめながら、グイと一息のんだりした。
 そこで彼は改めて、こんどは大きな跫音をひびかせようと意識しながら階段を登つてみたが、跫音は彼の心が思ふ高さの半分くらゐを響かせるのがせいぜいだつたし、タツノはいくらか違つた姿勢でやつぱりねむりこけてゐた。思ひきつて部屋へ這入つて本を探してこようかと思はぬこともなかつたが、すくむやうな気臆れがいきなりグッとせまつてきて、彼はまた忽ちもはやどん/\階下へ降りてゐた。ちらと視線が流れたばかりにすぎないはずが、まるで眼の中へ焼きこまれたと思はなければならないやうな強烈な印画で、××××××××××××××視野いつぱいにひろがり、部屋いつぱいの大きさにふくらみあがり、安川の顔へめがけてわッとおしつけてくるやうだつた。
 彼は再び階下の部屋をひとつびとつウロウロまはりはじめたが、さつき階下をぐるぐる一巡した時にはどこの部屋にも誰一人ゐなかつたといふ印象がいきなり頭をしめつけるほど強烈に意識にのぼり、心の構へが突然変つて、彼は部屋の各々に人気のないのをたしかめながら、息を殺して一巡した。果して誰の気配もなかつた。一応なにか、とにかく考へなければならないことがあるやうな気がして、彼は暫く茶の間の中央に突つ立ちながら耳を澄まして考へようとしてみたが、何も思ふことはなく、なにやらひどく張りきつた空虚が、めまひのやうにぐる/\めぐるばかりであつた。彼はとつぜん血の逆流する激しさとともに、二階めがけて駈け登つた。タツノはもはや目覚めてゐた。タツノの大きな鈍い眼がぼんやり彼をみつめたことを見たときには、彼はタツノ××××××、そして胸にだきしめてゐた。

 驕慢の花もある筈がなかつた。現実にそんな詩情はないのである。それは安川の好色癖が、動物欲の汚らしさを救ふために勝手につくつた美名だつた。
 手折らねばならぬ、踏みにじらねばならぬ驕慢の花なら、にじみでる高貴な構へが彼の心を射すくめる光となつて閃くことがあつてもよからう。そんなものは微塵もなかつた。
 タツノはまるで彼のくるのを待ちかねてゐた妖婆のやうに、鼻皺をきざんで満足の笑ひを見せるのだつた。その表情を思ひだすと彼は思はずぞッとした。そのくせ彼はうづくやうなものを、そそりたてられる思ひもした。たまらない悪臭だけが分るのだつた。
 金を盗むことにしても、さういふことのあつた日の彼に反抗するやうな或ひは彼を揶揄するやうな眼付にしても、そのほかの思ひあがつた表現にしても、やつぱりタツノの稚拙な色情のあらはれだつた。安川がタツノに××を燃やさぬうちはべつだん心にかからぬことで、よしんば××を燃やすにしてもその××のなかつたうちは、それを驕慢の花ともよんで、色も匂ひも感じることができたのである。それはむしろ驕慢の泥であつたと思ひつかずにゐられなかつた。タツノの眼付がもはや色情一方の、ほかには別の人生のない××だけの光を宿して、彼の一挙手一投足を思ひもよらぬ所からヂッと見つめてゐるやうな、無智傲慢な執念深い情痴を感じ、森の妖婆か山蛭《やまひる》にでも執着されてゐるやうな、毒血のしたたる思ひに悩んだ。
 日盛りに、人気のない部屋の中でふッとタツノにでつくはすと、タツノは鈍いどんよりとした瞳の底にくすんだものをみなぎらせ、彼をぼんやり見つめはじめるのであつた。安川がタツノの視線を睨み返すと、タツノは忽ち鼻皺をきざみ、最初の一日の寝姿のやうに、今にも××××××××××××××××××××だつた。安川は泣きたいやうな思ひがした。いきなりタツノの首をしめ、ぐいぐい押しつけたあげくのはてが、押入から力まかせに蒲団を一枚ひきずりだしてタツノの頭にすつぽりかぶせ、無我夢中に戸外めがけて飛びだして、道から道を逃げて走つた。
 みんな「駄目」になつたのだと彼は思つた。彼の何よりたまらぬことは、自分の毒血のあくどい臭さが鼻にからんでむん/\せまることだつた。どつちを向いても自分自身の汚さだけが、顔の前面一杯にワッとひろがる大きな幕をはりながら、追つかけてきてたまらなかつた。

 タツノが散歩にでた留守だつた。真夏のまひるのことであつた。安川の書斎の隅には長押《なげし》と長押に桟を渡して、ちよつとした物を吊すやうなぐあひに作つたものがあるのだが、彼はそこへ兵児帯《へこおび》を張つて首をくくつた。さうして彼は死んでしまつた。書置なぞはある筈がない。まつたくの発作であつた。
 子供の一人がそれを見付けて大声をあげた。そして人々が駈けつけた。松江と女中は力を合せて兵児帯を解き屍体を下さうとするのであつたが、気をつけの姿勢のやうに両手を膝へくつつけて、前へ向つて目礼をしてゐるやうなシャッチョコ張つた不様な屍体は、思ふやうに動かなかつた。おたきは冷い無表情でそれをヂッと見てゐたが、縄を切つて下へ落すと生き返らないさうだよ、と冷静に呟いて二人の方へ歩いてきた。いゝよ、わたしがするよ、とおたきは言つた。
 おたきは女中に子供を連れて立ち去らせた。それから残つた松江には医者を呼んでくるやうに言ひ、自分は屍体をおろすつもりか、屍体のうしろへ蝉のやうにくつついた。
 老婆のつめたい落ちつきは今日にはじまつたことではないが、脂のやうにねばりつく無表情の気配の中にもなにか解せない感じがしたので、松江は暫く立ち去りかね、やがてヒョイとおたきの方をふりむいたら、おたきは屍体の腰のあたりを両手でおさへ、首を帯からはづすために上へ持ちあげてゐるどころか、×××××××つけてゐた。あつけにとられてボンヤリした松江の顔と、おたきの顔がぶつかりあつた。おたきの顔は例の通りの脂のやうにねばりつく無表情で、なんの感情があるとも見えず、×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××。

 野辺の送りもすんでから、松江は改めて遠山に会ひ、日のたつにつれ益々まざまざ眼先にちらつく悪鬼の相に怯えながら、首つくくりの××××××老婆の話を物語つた。
 遠山もこの話にはちよつと呆れたやうだつた。然し彼は暫くぼんやり考へ耽つてゐたあとで、
「だつて僕等が生きぬくからには、どつちみち首をくくつた誰か×××グッと引つぱつてゐるのですよ」
 と、退屈さうな顔をして、夢のやうなことを言つた。



底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房
   1999(平成11)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文芸通信 第四巻第一〇号」
   1936(昭和11)年10月1日発行
初出:「文芸通信 第四巻第一〇号」
   1936(昭和11)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:今井忠夫
2005年12月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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