まつたのは、子供同志の諍ひで相手の揚足をとるでんであるが、五尺の男児みすぼらしい様子であつた。まさかに之が実現しようと思はなかつた松江は、異様な行列が門前にとまり、近所合壁の連中が裏木戸へ走りだして首をつきのばした瞬間も、自分も同じ高見の見物であるかのやうな好奇心を忘れなかつた。然し派手な着物をきて鼻先から額に汗をにぢませた女共が遠慮会釈もなく框《かまち》の上へどつこいしよと荷物を投げ込み、犬屋の店先であるかのやうに口々に吠え、而して遂にわが良人《おつと》なる人物が汗にまみれて疲労のどん底にありとはいへ、真剣なることアトラスのごとき重々しさで大きな行李をかつぎこんでくる様を認めた時に、松江は思はずきやッと叫んで台所へと退散した。無意識のうちに下駄をつつかけ、ただフラ/\と外へでた。半分は餓鬼共の遊び場であり、半分は塵芥棄場でもあるところの異臭|芬々《ふんぷん》たる広場へでると、恰《あたか》も青空の広さをめがけて突き走るもののやうに熱い涙がこみあげてきたのであつた。

 安川夫妻は母の家に寄食してゐた。正確には兄の家と言ふべきであるが、兄は死に、嫂も死に、三人の子供のみが残された家では、母が金をまもつてゐた。安川は自分の母をおたき婆あとよんでゐた。はじめ松江がおたき婆あとよんだのである。おたきは松江をきらつてゐたので、松江はおたきを憎んでゐた。安川は松江の立場が可哀さうだと思つたので、自分も忽ちおたき婆あとよぶのであつた。
 安川と松江がまがりなりにも一戸を構へてゐた時のこと、窮迫のさなかに折悪しく安川は盲腸炎にかかつた。心当りの金策に失敗した松江は、万策つきておたき婆あを訪れた。自分と不和であるにしても、実の子供の盲腸炎を見棄てるはずはないと思つた。おたき婆あは兄の子供にのこされた多少の貯財のほかに、それより多額の臍繰りをたくはへてゐた。
 おたきは老眼鏡をかけて新聞を読んでゐた。松江の話の最中も、話の終つた後も、同じやうに眼に新聞を寄せつけて口をへの字に結んでゐた。同じ頼みを松江は三度くりかへした。おたきはいくらか気色ばんで立上ると、奥の部屋から富山の売薬袋をもちだしてきて、入用の薬をこの袋から探しだして持つて帰れと早口に言つた。堪へうる限りの忍耐の結果が、一円の金ですらなく、売薬にすぎないことが分つたとき、逆上のあげく失神しさうな自分を感じ、一時も早く鬼の前から
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