心緒が永続する筈はありませんから、むしろ彼に逆らはずほつたらかしておいたなら、情熱のやりばに困つて悲鳴をあげてしまふでせう。さうすることが賢明です」
遠山の説く分析が思ひあたらぬことはなかつた。否むしろ遠山の語つた程度の良人の心理は知りすぎるほど見抜いてゐる松江だつた。たとへばタツノが安川の愛の対象でないことは、安川がタツノに就て彼女に語つたそもそもの日から、語る口ぶりからだけで充分わかるのであつたし、タツノを一目見たときにそれが裏書きされてゐた。安川はタツノを愛してゐないのだ、それは松江の確信だつた。
遠山の語る長い分析をきいてしまふと、それが全然耳新しくないばかりか、自分の方がもつとはつきり知つてゐたのに松江は始めて気がついたのだ。さうして松江はさつき広場を泣きよろめいてさまよつたことも、一途に逃げたい激しさに駆られたことも、それが良人の姦淫を憎む気持であつたことに却つて吃驚《びつくり》するのであつた。ありもしない姦淫を! それの分つた今となつても、然し憎さは変らなかつた。
「だつて安川は卑怯です。変な女をつれこむことが恋愛に無関係であるにしても、わたしをいぢめるためなんです。いゝえ、わたしは分つてゐます。わたしを辱しめるためなんです」
と松江は言つた。そして溢れる涙をふいた。松江は自分の喋つた事実に口惜し涙を流しながら、喋つた事実が思ひ違ひにすぎないことをはつきり気付いてゐる気がした。
「それは思ひ違ひです」と、再び松江に分りきつてゐることを、遠山は言ふのであつた。
「それはあなたの我儘です。かういふ出来事があなたにとつて口惜しいことは分つてゐますが、口惜しさをさうまで甘やかすのはあなたのためにとりません。自らの手で自分を不幸にすることですから。安川は、要するに、そんな女を引取つたりしなければどうにも足掻きのつかないどん底まで追ひつめられてゐるのです。勿論あなたに、それをいたはる義務や責任はないでせうけど」
「ええ、わたしいたはるなんて真つ平です。わたしがしたいと思ふのは復讐することだけですわ。だつてわたし、いぢめぬかれてきたんですもの。一生を棒にふつてしまつたのですわ」
「そのことだつて責任の一半はあなたにもあります。なぜつて、二人が一緒にくらしてゐるうちは、とにかく一方を全的に許容してゐる理窟以上の事実だからです。とにかく余り、神経をたかぶらせないの
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