いけないよ。僕はこの金でお前の過去を買ひはしない。一冊の古雑誌と同じやうな軽い気まぐれな土産だけだ。お前を忘れるどころか、どうやらこの四五日来、生れて始めてお前を本気で愛しはじめてゐるやうな気がする。尤もそれも、どこまで本気で、どこから気まぐれか、俺にはつきり分りやしないが。……さうだ! 俺はまた明日この部屋へ訪ねてこやう! 来ると言つて、来なかつたことは一度だつてないぢやないか!、然し訪ねる約束なんてこの日までほんとに稀にしか結んだことがなかつたね! お前を労はる言葉なんか、この日までかけたこともなかつたやうだ……」
 私の胸にあたかも真実の愛情が宿つたやうに、私は心の奥底から開らかれたやうにホッと笑つた。それは幽かな笑ひであつたが、涙ぐましく思はれるほど快くさへ感じられた。一時のあはれ! むろんそれが何の多足になるものか! 然し三千代も私の心が通じ流れたもののやうにホット笑ひ得た様子で、私は三千代のすすめるままに夕食をたべ終り、明日の来訪を約して別れた。
 もはや夜になつてゐた。私は一度街へもどつて蕗子のために五万分の一の地図なぞを買ひ、それから彼女を訪れたのはすでに九時に近かつた
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