いてゐた。薄情冷酷、そして、先天的な「犯罪者」だと云ふのである。
 谷村には無貞操といふことよりも、犯罪者といふ言葉の方がぬきさしならぬものがあつた。いつたい信子は無貞操なのだらうか。無貞操であるかも知れぬ。然し、凡そ肉慾的な感じがない。清楚だ。むしろ純潔な感じなのである。どこか、あどけなさが残つてゐる。それは、たとへば、香気のやうに残つてゐた。処女と非処女の肢体は服装に包まれたまゝ、ほゞ見分けがつくものであるが、信子は処女のやうでもあり、さうでないやうでもあつた。この疑問をいつか藤子にたゞしたとき、処女ぢやないわよ、藤子は言下に断定した。処女らしくすることを知つてゐるのよ。先天的にさういふ妖婦なのよ、と言つた。
 けれども、信子のあどけなさ、清楚、純潔、それは目覚める感じであつた。それは、たしかに、花である。なんとまあ、美しい犯罪だらうかと谷村は思ふ。まるで、美しいこと自体が犯罪であるかのやうに思はれる。この人は無貞操といふのではない。たしかに先天的な犯罪者といふべきだらう。もしかすると殺人ぐらゐも――その想念は氷のやうに美しかつた。鬼とは違ふ。花自体が犯罪の意志なのだ。その外の何物でもない。
 それは谷村の幻想だつた。彼は元来必ずしも幻想家ではない。ところが、信子の場合に限つて、彼は甚しく幻想家であり、その幻想を土台にして、きはめて気分的に、肉体のない、たゞ魂だけの恋といふことを考へてゐた。長々それを思ひ耽り、それが幻想的であり、気分的であることを疑りもせず、そしてたうとう本当に打開けてみたいと思ひたつて、外へでて、歩きだして、やうやく、気がついた。信子はたしかに妖婦なのである。谷村は肉慾を意識しない。然し、信子は、谷村の知り得ぬ方法で、何人からか、莫大な生活費をせしめてゐる女なのである。谷村の歩く足は次第に力を失つた。
 彼は藤子に会はうと思つた。先づ藤子に計画を打ちあけて、批判をきかうと思つたのである。

          ★

 藤子の旦那の上島といふ株屋が居合せた。彼は目をまるくした。
「そんな素敵な妖婦が日本にゐますかね。え? どうも、信じられない」
「いえ、本当よ。すくなくとも、二十人ちかい情夫があるわ。そして、信子さんは、どの一人も愛してはゐないのよ。あの人は愛す心を持たないのだわ。先天的に冷酷無情なのよ。生れつきの高等淫売よ、口説いたつて、感じないわよ。谷村さん」
「でも、それだつたら、口説きがひがあるぢやないか。え、谷村さん。面白いね。ぜひとも自爆するのだよ」
 藤子は信子の情夫の名前を一々列挙した。画家もあれば、実業家もあり、商人もあれば、歌舞伎の名優もあつた。いづれも中年以上の相当の地位と金力のある人ばかり、岡本などに目もくれなくなつたのは当然だといふ話なのである。
「あなたはいつか信子さんは処女ぢやないかと仰有つたでせう?」
 藤子の目は光つた。
 岡本の弟子に小川といふ青年がある。谷村も知つてゐるが、一本気の気質で、然し、気まぐれな男であつた。この男が信子を口説いた時に、私は処女よ、と信子は言つたさうである。彼はふら/\になるまで信子を追ひ廻して、結局崇拝者といふ立場以外にどうなることもできなかつた。信子は青年は相手にしなかつた。青年はたゞとりまいて崇拝することができるだけ、つまり青年は一本気で独占慾が強いから、信子は崇拝者以上に立入らせないのである。それが藤子の話であつた。
「私は処女よ、なんて、処女はそんなこと言はないものよ。言ふ必要がないのですもの」
 藤子は益々谷村を見つめた。
「谷村さん。なぜ、私がこんなこと言ふか、分る?」
 谷村は答へなかつた。その目には残酷な憎しみがこめられてゐるやうだ。藤子もさすがにてれたのか、目をそらして、くすりと笑つたが、
「谷村さん」
 又、目が光つた。
「あのね。信子さんはね、多分、あなたにも言ふと思ふわ。私、処女よ、つて。予感があるのよ。きつと、言ふわ。そのときの信子さんの顔、よく見て、覚えてきてちやうだい。陳腐な言葉ぢやないの。あなたが、そんな言葉、軽蔑できれば、尚いゝのだけれど」
 谷村は別のことを考へてゐた。
 藤子の邪推からも結論されてくることは、信子の生きる目的は肉慾ではないといふことだ。信子の生きる目的は何物であらうか。男をだますことだらうか。金をまきあげることだらうか。それは目的といふよりも、本能的なものだらう。なぜか谷村はさう思ふ。彼の頭に岡本の天性の犯罪者といふ呪咀の声が絡みついてゐるのであつた。この年老いた破廉恥漢の呪咀の声ほど信子に就いて的確なものは有り得ない。肉慾専一の岡本は信子を犯罪者と見るのだが、谷村の場合に別の意味であるかも知れぬといふことが彼に勇気を与へてゐた。信子に人を迷はす魔力があるなら、迷はされ、殺されたい、と谷村
前へ 次へ
全10ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング