それから一年半後のことだが、銀座裏のおでん屋でこの医者に再会した。私は曾《かつ》て眼下に見下した小田原のあの澄みきつた街の灯を思ひだしながら生き生きと彼に言つた。
「あの山上の酒場は今も盛大でせうね! 谷底のやうな下界に街の灯をみつめて、あの呑んだくれた時でさへ魂が高まるやうな感動を受けたのですが……」
「山上の酒場? そんな詩的な場所は小田原にありませんよ」
「そんな筈はない。それぢやあ小田原近郊でせう。とにかく山上のその酒場で貴方と酒を呑んだではありませんか」
「あれは普通の安カフェーの二階ですよ」
 私の放浪はそんなものだ。魂の放浪がひどいのである。かくまでも印象深い街の灯の風景が無残にくづれたとなると、私はもはや小田原の街に就て一語の印象を語る勇気も持ち合せない。
 去年は一夏信州の奈良原鉱泉といふところにゐた。寂寥に堪へきれなくなつて酔ひ痴れ、山を降つて上田市や丸子、大屋、田中村なぞの宿場の旅籠《はたご》に泊つたりしたが、覚えてゐるのは目の覚めた部屋にあつた掛物ばかりで「常に悔ゆる者はよし」なぞといふ有名なクリスチャンの書いたものがそんな場所にあつたりして奇異の感を懐いたことを忘れない。酔余素敵な女に会つた。忘れかね山を降りて会ひに行つたら印象とまるで違つた女の様子に這々《ほうほう》の態で逃げ出したことがあつた。

       (二)[#「(二)」は縦中横]

 八ヶ岳の中腹に本沢といふ温泉がある。海抜二一〇〇|米《メートル》ぐらゐの地点にあるらしい。大正十二年に出版された某登山家の著書によると、この温泉は春ひらいて秋とざす。一冬八十円の報酬で留守番を置き残し一同下山するが、春に訪れてみると大概番人は死んでゐる。首をくゝるもあり半身焼けただれてゐるもあり明らかに殺されてゐる者もあると言ふのであつた。然し八十円の報酬に目がくらんで、番人を希む者は絶えた例がないと言ふ。いまだにさうか私は知らない。
 例の日本一といふ高原鉄道小海線が去年十一月開通した。八ヶ岳の麓千米ほどの高原を通るのである。私はこれに乗り、もし閉ぢられてゐないなら季節の終りの本沢温泉を訪ねてみやうと思つた。八十円に目のくらんだ番人がゐたら茶飲み話をしながら素朴な心境を探りたいとも考へてゐた。去年の十一月の終りのことだ。
 出掛ける途中寄り道をした。中学からの友達で哲学をやつてゐた男が発狂
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