りもつづいたのです。小夜子サンもヤケを起してしまったのでした。
 だいたいにおいて小夜子サンはセラダがやや好きの方だったのでしょう。彼のオッチョコチョイぶりもこうひどすぎると俗人ばなれがしてアカぬけたような気分になるから妙なものでした。とかく日本的オッチョコチョイは哲学的詩的要素が加味されていて頭痛を起させがちなのですが、セラダのにはジャズ以上の重量級のオッチョコチョイは加味されていないのです。気分的に楽でした。当人は万人に軽蔑されても意に介しない荒海の救命イカダのような安らかな心境にいることですし、ツキアイが楽だというのは坐り心地や生きる心持の急所が楽だというようなものです。
 彼のヤケが底をついているのも、時々にシミジミさせられることがあって、わるくはなかったのです。死の崖にいる切なさや逞しさも時に青い山を見るような酔い心地を与えてくれることがありました。それは一瞬にすぎ去る感傷にすぎませんが、この人生はその程度でまアまアではありませんか。
 しかしとにかく相手は汽船でもボートでもなく救命イカダの類いですから、平時に於てこれに乗りこむには多少のヤケも必要だったわけです。
 別に深い
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