と重ねて云うのです。
「ここのどこが気に入ったんです」
「あなたがそんなふうに仰有《おっしゃ》るからよ。私あんまりパッとしたところで働きたくないんです」
「あなたがパッとしすぎてるからさ。ここじゃア、しかし、どうも、ねえ。あなただけパッとしすぎて、ここの客が寄りつかなくなッちゃうよ」
まったく見るからにパッとした存在でした。ミナリだって渋くて上等なものでした。一見して家柄を感じさせるような気品があって、それで目がさめるほど美しいのですから、パッとしすぎてここの客がよりつかなくなるというのも云いすぎではありません。この人がまた意地ッぱりで、とうとうここに働くことになったばかりでなく、まる二年ここに落着いてるんですから、まったく妙な話です。トオサンはカンバンになってイヤな客が小夜子サンを送って出そうな気配があると、ぼくに目配せして、
「小夜子サンを送ってあげな。ねえ、小夜子サン。今夜は龍ちゃんに送らせて下さい」
こう云ったものです。万一のことがないようにと気をつかってのことです。イヤな客にはハッキリと、
「今夜は龍ちゃんが小夜子サンを送りますから、あなたはひきとって下さい」
などとズケズケ云いました。そういうところは小気味のいいトオサンでしたが、自分の胸の思いをうちあけるには全然勇気がなかったのです。むろんトオサンには奥サンもあるし子供もありますが、小夜子サンにも御亭主があったのです。物理学者で、書斎の虫だったのです。仲は冷いようでした。
八千代サンも可愛い娘でしたが、小夜子サンが万人その美を認めざるを得ないていの麗人ですから、自然ひそかに嫉妬せずにいられなかったのでしょう。
その小夜子サンが二世のセラダと熱海で心中して、二人とも死に損いました。日野と八千代サンの一件というのもその時にあったことです。いまはその一件を語るのが目的ですから、小夜子サンとセラダのことはやがて章を改めて語ることに致します。
小夜子サンとセラダが死に損ったということは新聞の夕刊に小さく出ていたので判りました。トオサンはとる物もとりあえずというていたらくでカッポウ着をかなぐりすてて熱海直行ということになりましたが、そのとき店に来合せていたのが日野と八千代サンでして、
「じゃア、ぼくも行きます」
「私も」
この二人がどういう反射運動か、その気になって立上ったものですから、トオサンも考え
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