に至るまで、アンレマと驚いて、腹をたてた。
独り者といったって鼻介の野郎は三十に手のとどいた大ボラフキの風来坊。ヤモメ暮しというだけで、花聟という若い者の数の中にはいるような奴ではなかった。あの野郎、身の程もわきまえぬ太え野郎だと皆々立腹したけれども、よくよく考えてみると、どうも都合がよろしくない。
鼻介の野郎は十一二から江戸へ奉公にでて、三十にもなって女房もつれずに故郷へまいもどった風来坊であるが、段九郎の配下の者でも身分は問わないというから、あの野郎が不都合だという理由にならない。
見どころのある人間だとは思われないが、困ったことには、コマメであるし、機転がきくし、手先の細工物にも妙を得ており、人が十日でやるようなことを一日で仕上げて済ましているようなズルイ奴だ。田舎では、こういう奴をズルイ奴だといって、正しい人間の仲間には入れないけれども、オ君の花聟の条件に照し合せると、正しくてグズで間違いのない当り前の人間よりも、あの野郎の方に都合良く出来ている傾きがある。正しくてグズで間違いがないのがこの土地の人間、ズルイ奴はよその者にきまっているのだが、ズルイということは善良でない人間の目から見ると、小利巧で働きがあると見えない節がないようだから困ったものだ。妾などというものは魔物であるから油断もできないし、考え方も狂っていようというものだ。
実直、といえば、それはこの土地の人間の美点のようなものであるが、あの野郎ときては酒をのまないという妙な野郎だ。雪国の人間は生涯ドブロクと骨肉の関係をもつものだが、よそ者のズルイ見方によれば、酒をのまないということが実直という意味の一端をなしているのかも知れない。生き馬の目をぬくとはこのこと、実に油断がならない。
田舎には盆踊りというものがある。これが田舎のよいところで、女郎だの淫売などという者はない。年々交際を新にし、寝室への門をひらいて、若者の性生活を適正健康ならしめるのである。鼻介の野郎ときては、十手をちらつかせて大ボラを吹きまくるくせに、この土地では色女が一人もないというシミッタレた野郎である。こういう奴は男の面ヨゴシ、天下の恥カキ者、いい若い者の仲間はずれという奴で、バカかカタワでなければ有りうべからざる奇怪事であるが、よそ者のズルイ目から見ると、それも実直という意味になるらしい怖れがある。江戸は生き馬の目をぬく
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