りにクマのアネサをもらうのは理にかなっているという説をまげなかったし、それは実に正当な理論であるから、馬吉もキンカの野郎も言いたい言葉をモグモグのみこんで黙ってクマをもらったのである。
けれどもアネサはそれほど働いてくれなかった。それはアネサに他意があるワケではなくて、ただ働くことを好ましく思わないだけの理由であった。夏の朝、野良へ行こうぜとオカカにゆり起されると、
「夏は日が長すぎるすけ、まだ、ダメら」
アネサはそう答えて、あとはいくらゆり動かしても自分の目覚めに適当な時間がくるまで起きてこなかった。更に手を加えて起そうとすると、空俵のように振りとばされてしまうから、オカカはわきたつ胸をジッと抑えなければならない。しかし論争の巧者であるから、アネサの夏の言葉を冬のくるまで胸にたたんでおく。
冬がきて、まだ暗がりにアネサをゆり起して、
「アネサ、起きれ。起きねとシッペタへ真ッ赤の釜のシッペタくッつけてやるろ」
シッペタはお尻のことである。アネサは毛虫のような眉毛をビクリとうごかしただけで、
「まら、外はマックラら」
まら、は、まだということである。ダをラと発音することの多い方言なのである。
「冬は日が短《み》イじけエろ。起きれてがんね」
「短イじけエもんは、仕方がね。オレが長《な》アごうしてやれね」
オカカは待っていました、と、
「この野郎、こきやがんな。ンナは、この夏のこと、夏は日が長アげエと云うたがん忘れやがったか。さア、カンベンならね」
と半年がけの論争を吹ッかけても全然ムダである。アネサはすでにグッスリねついて、オカカのいかなる熱論もアネサの耳の孔までしみこむスベがないからである。
アネサの働く時間は短かかったが、通算して一人前はたしかに働いていたろう。重い物を運ぶ時などは、アネサが存分に怠けてやっても、そのノロノロとした一度だけで馬並みのことはあるからであった。アネサの食量がやや馬に近いだけ、オカカはタダの人間をヨメに選ぶべきであったのである。
だから、オカカが庄屋のオトトへ泣き言をならべにでかけても、庄屋のオトトは良いところへヒマツブシの慰み物がきてくれたと薄笑いをうかべて、
「ンナトコのアネサ、病気らか」
「バカこきなれや。オラトコのアネサにとりつくことができるような病気がいたら、呼んでもらいてもんだ」
「ンナトコのアネサが丈夫らば、困ることがあろうば。牛と馬が六匹うごいているようなもんだ」
「なに、こくね。あんたに呉れてやるすけ、オラトコのアネサ持ってッてくんなれや」
「オレは熊は使うてみていと思わねな」
「ザマ、みなされ」
オカカは腹を立ててもいるが、落ちついてもいる。今日、庄屋のオトトのところへ来たのはタダの話ではない。庄屋のオトトも肝をつぶすに相違ない話なのである。それは天下泰平の山奥の村落では、おだやかならぬ話であった。
★
オカカは長い間考えちがいをしていた。オラトコのアネサは生一本の怠け者で、ほかに望むところのないのが、せめてもの取り柄であると。ところが、そうではなかったらしい。
人間というものは、悲しいものだ。キンカの野郎のアネサは存分に怠けているように見える。もッと働いてくれないかと頼む人はいるけれども、たッて働けと言いきる勇士は誰もいない。馬吉のオカカですらも、ダメなのである。だからアネサは人間の境地を分類して、悠々自適と称するところに居るのであるが、かほどの人間でも、充ち足りざるものがある、夢がある、無限の遺恨があるのである。ああ、悲しいかな。
アネサは誰にも打ちあけていないが、七ツ八ツのころから、一と筋にあこがれていたことがある。そのアコガレは年と共に高く切なく胸にくすぶっていたのである。アネサはキンカの野郎のヨメになるツモリではなかった。天狗様のアンニャのヨメになりたかったのである。アンニャは、時にはアンチャとも云う。兄さん、青年ということである。天狗様のアンニャのヨメになりたかったが、色恋の沙汰ではない。天狗様のアンニャもキンカの野郎も、ウスノロで、ズクナシで、気が小さくて、いつもクヨクヨと、まるで一匹の悲しい虫だと思えばマチガイない。どこのアンニャも、まったく芋虫よりも魅力のある虫ではない。しかし、天狗様のアンニャのヨメになると、いい着物がきられるし、うまい物がたべられるし、威張っていられるし、それから、怠けていられる。はじめの三ヶ条によって、七ツ八ツのころから天狗様のアンニャのヨメになりたいと思っていたが、キンカの野郎と一しょになって以来は、怠けていられる、という最後の一条までがわが一生の遺恨となって無性にアネサのハラワタをかきむしるのである。
しかし、アネサはこのことを誰にも言えなかった。物には限度がある。だれでも身の程というも
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング