礼用の飾りのついたナギナタを持っているだけだ。ミコサマがナギナタの達人なら伝説に合わなければならないのだが、全然伝説に合ってやしない。イヤハヤ、とんでもないことになった。
 ミコサマが現れるのを見ると、すでに殺気満々たるアネサはさらに一段とひきしまって、もはや殺気は張りさけるばかり。おのずからその極に達して、一言の発する言葉もなく、キッと構える大きな棒。アネサはすでに構えた。
 アネサは腕に覚えがあるのだ。相手をなぐり倒せばいいのである。それには先方がこッちに打ッてかかる先に、相手をしャぎ伏せてしまえばいい。アネサの棒は一丈ぐらいある。ミコサマのナギナタは六尺ぐらいしかありやしない。ナギナタはこッちに届かなくても、こッちの棒は先方へ届くし、アネサのふり払う棒の速さをただのジャベが体をかわせる筈はないのである。
 アネサは怠け者ではあるが、年百年中クワをふり下しふり上げているし、斧で大木を斬り倒すのも馴れている。男の野郎が三百ふり降して斬り倒す木を、アネサは百もかからずに斬り倒すことができる。木を斬る斧にも、斬り下げる要領はあるし、斧の先にこもる力と、それを按配してふり下す握りにかかる力との釣合い。それは何を斬り、何をふり廻す要領にも通じているものだ。
 アネサはチャンと心得ているのだ。アネサは棒の握りが外れないようにギザギザを入れて仕掛を施しているばかりでなく、棒の先に鉄をはめて、自分の一振りに最適の速さ重さのかかるような仕掛も施しているのだ。
 アネサは決してクワや斧を握るように棒を握ったり、それと同じように棒を構えてはいなかった。その棒にふさわしく、然るべく構えている。上からふり下すのではない。それは外れることが多い。アネサは水平にふり払うツモリなのだ。しかし水平に構えているわけではない。ちょうど野球のバットぐらいの角度に、肩からふり下しふり払うツモリなのである。その構えは、野球の選手のようにスマートである筈はないが、決して力点が狂ったりハズしたりはしていない。それどころか、必殺の気魄がこもり、その一撃のきまるところ、結果は歴々として、あまりの怖しさに身の毛がよだつようであった。
 アネサの必殺の気魄に応じて、静々と現れたミコサマであったが、響きに応ずる自然の構え、一瞬にして応戦の気魄は移っている。全然両者無言のうちに、すでに戦いは始っているのだ。
 ミコサマは
前へ 次へ
全16ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング