たのを見すまして、カメは又ドブゥン。気がつくと、反対側のオカへあがって休息している。一同は舟で行ったり、戻ったり、それだけでヘトヘトだ。
「野郎め。姿を一度も見せないで、どうして河を渡りやがるのだろう。よッく水の上を見張ってろ。息を吸いに顔をださない筈はないから」
 要所々々に舟をかまえて、目を皿にして見張っている。カメは土手の畑から芋の葉をとってフトコロに入れて水中にもぐっている。カメが水錬の奥儀に達していても、顔の造作は生れながらのもので、河馬のように目と鼻の孔だけ水面へでてあとは一切水中に没して見えないという都合の良い出来ではない。いかほどの名人がやっても、鼻と一しょにオデコかアゴか、どっちかでる。カメは出ッ歯であるから、鼻と一しょに出ッ歯がでる。鼻の孔よりも出ッ歯の方が上にでるから、口でチュウ/\息をした方がよい。
 そこでカメは浮きあがると芋の葉をチョイと水平にかざして、葉ッパの裏へ口を吸いつけて、チュウ/\息を吸う。
「オイ。見ろ、見ろ。芋の葉ッパが沈んだぞ。どうも怪しいと思っていたわい。芋の葉ッパに限って、時々、方々に流れているのが変だな、と思っていたのだ。カメの奴、時々浮きあがって、芋の葉ッパの下に顔を隠して息を吸っていやがるに相違ない。芋の葉ッパを見つけたら、その下を櫂でかきまわせ」
 とうとう見破った。けれども葉ッパを見つけて漕ぎ寄せるうちには、もう沈んでいる。今度現れる時は、大変遠い思いもよらないところである。わざとその近くまで漕ぎ寄せてくるのを待って、フッと沈んで遠いところへ逃げてしもう。どうしても、つかまらない。
 そのとき土手の上で、この一部始終を見物していた数名の武士があった。家老柳田源左衛門その他の者。遠乗の途中であった。
「コレコレ。その方どもが追いまわしているのは河童であるか」
「いえ。カメの野郎でござんす」
「ハハア。カメが芋の葉の下に隠れて息を使うか」
「いえ。カメという人間でござんす」
「まったくの人間か」
「へえ。もう、親の代からの人間でござんす。オカにいるときはバカでござんすが、水へくぐると河童のような野郎で、手に負えません」
 ここの殿様は大変武芸熱心であった。諸国から武芸達者な浪人をさがして召し抱えるのが道楽である。しかし、パッとせぬ小藩だから、天下名題の名人上手は来てくれない。自慢の種になるような手錬の者がいないから、殿様は怏々《おうおう》としてたのしまない。
 源左は不思議な術者を発見したから、これを殿に差し上げたら面目をほどこすだろう、と大そうよろこんだ。
「コレ、者ども、控えろ。カメをこれへ連れてまいれ」
「へい」
 鶴の一声。御家老様の命であるから、舟の者はオカへあがって控えたが、カメをつれてまいれたって、これだけ追いまわしてつかまらないのに、ムリなことを云う人だ。
「アッ。そうだ。オイ。一ッ走り、ミソ漬のムスビをこしらえて、持ってこい」
 こういうわけで、カメは家老にしたがって、殿様の前へつれて行かれた。

          ★

 家来に武芸者は多いが、水泳の指南番は観海流の扇谷十兵衛という初老の達人が一人であった。とは云え、こんな小藩で水錬の指南番を召抱えているのは珍しい。
 殿様は源左から話をきいて、大そうよろこんだ。
「扇谷十兵衛をよべ。阿賀ノ川へ遠乗いたすから用意いたせ」
 気の早い殿様である。
 源左、十兵衛、カメ、その他数名の者をひきつれて、さっそく川岸へ到着した。
 殿様は十兵衛に命じて、
「カメの手錬をためしてみよ」
「ハッ」
 そこで十兵衛はカメをよんで、
「殿の御前に技を披露いたすのは末代までの名誉であるから、心して、充分にやるがよい。向う岸まで泳いで戻って参れ」
「行って戻ってくるのかね」
「そうだ」
「一息はダメだ」
「どうしてダメだ」
「あんた、一息で行って戻ってくるかね」
「一息で行って戻ってこいとは言わんぞ。なんべん息をしてもいい」
「そう何べんもできないもんだ。一々面倒だからね。向うの岸へついて、いっぺん息を吸う」
「勝手にやれ」
「コレコレ。衣服をぬがんのか」
「そういうわけには、いかんもんだて」
「どうして、いかん」
「はずかしいからね」
「なにが、はずかしい」
「フンドシを忘れてきた」
「水褌をかしてやるからハダカになれ。衣服のままでは手が思うようにならんぞ」
「手はいらないもんだ」
「特別の芸をせんでもよい。手も足も用いて、存分にやれ」
「そういうわけにはいかないもんだて。あんた、歩くときハダカにならないだろう」
「歩くのは、衣服のままで不自由はない」
「それみろ」
「なんだ」
「オレは歩くのだからね。手をバタバタやると、魚がにげてしもう」
「水の上を歩けるか」
「水の下を歩くんだ」
 カメはへそに手を当てる。キッと腹を押
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