は女房という意味の方言だ。しかし歴とした旦那の家では用いない。裏長屋の言葉である。これに対して、亭主をオトトと云うが、軽蔑しきって云う時には、トッツァという。しかし、トッツァマとマの字がつくと尊敬の意がふくまれる。
カメのオカカはむくれて、
「なんだと。この腐れトッツァ。なにが大黒柱だ。大黒柱というもんは、大きな屋根を支えているもんだぞ。お前、なに、支えてる? たった一人のオラに腹三分マンマ食わせることもできないじゃないか。このカボチャトッツァめが」
こう言って怒られると、どうすることもできない。町内の奴めら、いらぬ世話をやいて、亭主は一家の大黒柱だなどとおだてるから、かえってオカカに怒鳴られるばかりだ。全然、腹のタシにならない。大黒柱とは、なんだ。嘘ばッかり、こきやがる。――嘘をつくということを、カメの城下では、嘘をこくというのである。嘘ツキを嘘コキという。
町内の奴らは、みんな嘘コキだ。余計な言葉を教えるから、又オカカを怒らせてしまった。鋸をひいていても、空腹がしみわたるばかり、かえって、あの日以来、空腹が身にしみて仕様がない。
数日たつうちに、カメはとうとう我慢ができなくなって、
「そうだ。井戸へとびこむと、ミソ漬のムスビ五ツくれるぞ。あのムスビは、うまいな。オレが悪いわけじゃない。あの嘘コキども、オレのことを大黒柱だなどと余計なことを教えるから、オカカが怒って、オレのマンマの分量をへらしたのだ。よし。井戸へとびこんで、ミソ漬けのムスビ五ツまきあげてやれ」
共同井戸だから、宵のうちは井戸端がにぎわっている。カメは洗濯のオカカ連をかきわけて、いきなり井戸へドブンととびこんだ。
「カメが身投げしたぞ」
「カメが、又、死んだぞ」
そう何べんも死ねない。一人でもうるさいオカカどもが、つれだって口々に叫ぶから、たまらない。オトト連は耳をおさえて、とびだしてきて、
「なんだ。なんだ」
「なに? 又カメの奴が身投げしたと? さア、大変だ。オレが月番だから、名主のハゲアタマと一しょに御奉行様に叱りつけられる。だから、あの野郎を山からつれてくるのは考えもんだとオレが言ったことだ」
「今さら、そんなことを云っても、仕方がない。これでこの井戸が使えないのが、大変だ。死に場所はいくらもあるのに、ひどい野郎だ」
ワイワイ云っていると、井戸の底から、
「オーイ」
「アレ?」
「オーイ」
「アレ。カメが生きてやがる。オーイ。お前、生きてるか」
「生きてるぞ」
「ウーン。運のいい野郎だなア。この深い井戸へとびこんで、二度も生きてやがる。バカの身体というものは特別なものだ。しかし、これで井戸がえをせずに、助かった。ヤーイ、怪我はないか」
「怪我はないぞ」
「いばってやがら。なぜ、とびこんだ?」
「あがってやるから、ツルベをおろせ」
「身投げしておいてツルベをサイソクしてやがる。お前、一人であがれるか」
「ミソ漬けのムスビ五ツだせば、あがってやるぞ。五ツだすか」
「ハハア」
ようやく一同は気がついた。さては奴め、前回に味をしめてムスビをサイソクに井戸へとびこみおったか。バカの一念というものは思いきったものだ。しかし、憎い野郎だ。いッそ一晩井戸の底へとじこめて、こらしめてやりたいが、カメのオカカは不精な奴で、ろくにカメの下帯のセンタクもしてやらないから、色が変っている。一晩つけて、それが自然に色が白くなったのでは、町内のものはカメのフンドシの垢をのむことになってしもう。井戸へ漬けておくわけにもいかない。
「お前の願いは、なんでも、きいてやる。ミソ漬けのムスビをウンと食わせてやるから、早くあがってこい」
「そうか。ありがたいな」
大よろこび、スルスルとあがってくる。待ちかまえていた町内の連中が、襟首をつかんで、ひッとらえて、いきなりポカポカなぐりつける。
「この野郎、ふてえ野郎だ。だれがキサマにミソ漬けのムスビをくわせるもんか。これでも、くらえ」
よってたかって、こづきまわす、ぶんなぐる。カメはおどろき、泡をくらって、隙をみると、人々の手をスルリとぬけて、再び井戸の中へドブゥンととびこんでしまった。
町内の連中の魂胆を見とどけたから、もう、どんなにうまいことを言っても、カメはあがってこない。
「この嘘コキ! ダメだ!」
カメは井戸の底にむくれて、大いに腹を立てている。なアに、窮屈な思をして、家の中に住むことはない。井戸の中の方が、どれぐらい静かで邪魔がなくて、暮しいいか分らない。カメは困るどころか、処を得て、安心している。地上の連中はそんなこととは知らないから、こうなると、カメのフンドシの垢をのむぐらいで渋い顔をしていられない。カメが井戸の中で死にでもしたら、町内一同獄門にかけられてしもう。大変なことになったと、ウロウロしているうちに、
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