ら、殿様は怏々《おうおう》としてたのしまない。
源左は不思議な術者を発見したから、これを殿に差し上げたら面目をほどこすだろう、と大そうよろこんだ。
「コレ、者ども、控えろ。カメをこれへ連れてまいれ」
「へい」
鶴の一声。御家老様の命であるから、舟の者はオカへあがって控えたが、カメをつれてまいれたって、これだけ追いまわしてつかまらないのに、ムリなことを云う人だ。
「アッ。そうだ。オイ。一ッ走り、ミソ漬のムスビをこしらえて、持ってこい」
こういうわけで、カメは家老にしたがって、殿様の前へつれて行かれた。
★
家来に武芸者は多いが、水泳の指南番は観海流の扇谷十兵衛という初老の達人が一人であった。とは云え、こんな小藩で水錬の指南番を召抱えているのは珍しい。
殿様は源左から話をきいて、大そうよろこんだ。
「扇谷十兵衛をよべ。阿賀ノ川へ遠乗いたすから用意いたせ」
気の早い殿様である。
源左、十兵衛、カメ、その他数名の者をひきつれて、さっそく川岸へ到着した。
殿様は十兵衛に命じて、
「カメの手錬をためしてみよ」
「ハッ」
そこで十兵衛はカメをよんで、
「殿の御前に技を披露いたすのは末代までの名誉であるから、心して、充分にやるがよい。向う岸まで泳いで戻って参れ」
「行って戻ってくるのかね」
「そうだ」
「一息はダメだ」
「どうしてダメだ」
「あんた、一息で行って戻ってくるかね」
「一息で行って戻ってこいとは言わんぞ。なんべん息をしてもいい」
「そう何べんもできないもんだ。一々面倒だからね。向うの岸へついて、いっぺん息を吸う」
「勝手にやれ」
「コレコレ。衣服をぬがんのか」
「そういうわけには、いかんもんだて」
「どうして、いかん」
「はずかしいからね」
「なにが、はずかしい」
「フンドシを忘れてきた」
「水褌をかしてやるからハダカになれ。衣服のままでは手が思うようにならんぞ」
「手はいらないもんだ」
「特別の芸をせんでもよい。手も足も用いて、存分にやれ」
「そういうわけにはいかないもんだて。あんた、歩くときハダカにならないだろう」
「歩くのは、衣服のままで不自由はない」
「それみろ」
「なんだ」
「オレは歩くのだからね。手をバタバタやると、魚がにげてしもう」
「水の上を歩けるか」
「水の下を歩くんだ」
カメはへそに手を当てる。キッと腹を押
前へ
次へ
全15ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング