た。
カメはただは降りなかった。町には食物がないからという彼の偏見は頑強であった。使いの者は一晩山の小屋に泊ったあげく、山の幸のモテナシに降参して、逃げて帰った。
そこで多茂平という町内の世話役の旦那が自身出馬して説得におもむいた。
「のう。カメ。お前、こんなもの、食うか」
多茂平は谷底の岩へ腰を下して、おもむろに包みをといて、子供の頭ほどあるお握りをとりだして、あたえた。カメはアリアリおどろいて、叫んだ。
「これは、米のムスビだぞ!」
「そうだ。米のムスビだ。ほしかったら、くえ。いくつでもある」
「よし。いくつでも、あるな」
「食えるだけ、やる」
カメはムスビにがぶりついた。多茂平は自分用のムスビをとりだして、たべた。カメはそれをのぞきこんで、自分のものと見くらべながら、
「それは変なものがはいっているな? それは、なんだ? ウヌだけ変なものを食っているな」
「どれ? お前のは何がはいっとる?」
「オレのは、梅干だ」
「そうか。オレのはミソ漬だ。ミソ漬のムスビがよければ、それをやるぞ」
カメはいそいで梅干のムスビをくい終ると、ミソ漬のムスビをくった。そして、心底から嘆声をもらした。
「ミソ漬のムスビは、うまいなア!」
カメの離山の決心は、これでどうやら、ついたらしい。しかし、カメは、もう一つ、条件をだした。
「オレにヨメくれるか。ヨメくれると、町に住んでやってもいいと思うな」
なるほどカメも二十五六にはなっているはずだ。生れついてのバカでも、ヨメは欲しかろう。多茂平は粋な男だから、カメの飽くこともない大食にくらべれば、この方には親身な同情がもてる。
「お前はよいとこへ気がついた。ヨメはいいものだ。お前の着物もぬってくれるし、お前が木挽《こびき》の仕事につかれて帰ってくると、ちゃんとゴハンの支度ができていて、つかれた肩をもんでくれるなア。ヨメは山の人には来てくれないから、お前はどうしても町に住まねばいかんわい」
約束をむすんで、山を降りた。バカにマチガイをさせないのには、ヨメをもたせるに限るから、多茂平も熱心にさがして、ちょうど運よく、ほかの男はヨメにもらってくれそうもない売れ残りの下女がいたから、お前カメのヨメになるか、ときくと、大そうよろこんで二ツ返事であった。
カメはヨメをもらって満足し、木挽や、人足の仕事にでて賃銀をかせぐが、カメが大ぐらい
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