度の行動の責任を牧野信一の姦淫に負はすべきだと考へついたのであらう、益々牧野さんを憎んだ「ふり」をして小田原へ帰らなかつた。この際としては如何にも女らしい手口を用ひたわけで、恐らくそれでいいのではないかと私は考へてゐる。これだけの理由で奥さんを悪妻と言ふのは当らない。牧野さんが信じたやうに、そして、牧野さんが信じてゐたが故に、我々はむしろ彼女を良妻と呼んでいいのだらうと思ふのである。牧野さんの奥さんは小田原の牧野さんの母堂と仲がわるかつたが、これとて牧野さんが母堂と不和だつたから、仕方がなかつた。

 こんなことは実際どうでもいいことだ。これが死を早めたことにはなつても、自殺の根柢はこれではない。彼の夢が彼の「人生を殺した」のだ。
 それにしても小田原へ引上げてからの牧野さんの神経衰弱はひどかつたらしい。いつたい牧野さんは私達と話をしても、死や、況んや自殺に就て、かつて語つた例がない。牧野さんにしてみれば、生きることの難さに比べて死ほど容易な、それゆゑ厭な、妖怪じみた奴はなかつたのだらう。生きることには値打があるが、死には一文の値打もない。語る値打もなかつたのだ。私達が死を云々すると彼
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