り、また奥さんの貞淑さも天下の範とするに足り、たうてい第三者、ことに女性の介入を許さぬものが分つてゐたから、時々牧野さんが、「助平でなければならぬ」時があつても、この模範的な夫妻に最後の問題が起きやうなぞとは考へなかつた。
牧野さんは気の弱い人で友達に我儘も言へなかつた。我儘一杯にふるまへたのはただ奥さんの前だけで、これを悪い例で言へば、夢と生のくひちがひを腕力に表現して鬱憤を晴らすことのできたのも唯一の味方とたのむ奥さんなればこそであつたが(これは皮肉でない)これをおぎなつて余りあるだけの愛妻のための精神的苦労(たとひ物質的にまで具現することは稀であつたと言へ)は我々の眼によく分つた。むしろ痛々しくもあつた。
B婦人の問題なぞも牧野さんの神経衰弱とそれにともなふ奥さんのヒステリイが収まりさへすれば自然跡型もなく消えてしまふことなのだが、生憎悪い事件が起きた。一昔前の僕の役割を引受ける破目になつた某が、痴話喧嘩に深入りしすぎたのである。かういふことは感傷上の問題で非常に偶発的な性質を帯びてゐるから、大きな問題にしてはいけない。奥さんと某の失踪といふ事件が起きた。失踪といつても恋愛と
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