れたのは去年の十一月の始めであつた。牧野さんは睡眠中で、出てきた奥さんがまたひどい神経衰弱で殴られ通しだと訴へた。何とかいふ面倒くさい名前の催眠剤を一々丁寧に桿《はかり》にかけて呑んでゐると聞いてゐたが、会つてみると、私と以前反目した時のやうに神経的な苛立たしさは見受けられず殆んど変りがないやうだつた。どうしても小説が書けないとこぼしてゐた。小説が書けなくなつたと言ひだしたのは最初に小田原へ越した時からで、その頃から牧野さんは数へるほどしか小説を書いてゐない。主として随筆と文芸時評(これは早稲田文学の再刊と同時にはじめて書きはじめたもので、自分でも文芸時評の書けることが分つたといつて大変よろこんでゐたものだ。そのころから小説が書けなくなつてゐたのである)その他雑文の類ひしか書いてゐないやうである。
 今年になつて三度会つたが、私の会つてゐるうちは昔と全く変らない牧野さんであつたのである。

 今度の夫婦別居のことが自殺の原因のやうに大袈裟な問題になり、新聞では奥さんがひどく悪者になつてゐるが、これは確かに不公平だ。第一に、なんといつても自殺の真の根幹をなすところは彼の生涯の文章が最も明白に語る通り、彼の一生の文学が自殺を約束された、自殺と一身同体の、文学だつたと見なければならない。
 一八五五年一月二十五日巴里で一人の牧野さんが首をくくつて死んだ。ゲラル・ド・ネル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルがそれである。彼の絶筆となつた小説はオレリヤ(別名・夢と人生)で、「夢は第二の人生である――」といふ書き出しに始まる彼の生と知性との宿命的な分裂を唄つた傑作だが、テオフィル・ゴオチエによれば、ネル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルの死は「夢が人生を殺した」のであつた。牧野さんまた然り。二人はともにゲーテの熱読者であつたのは奇縁だが、牧野さんは恐らくネル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルの名前すら知らずに死んだ。
 その深夜ネル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルは泥酔して行きつけの飲み屋を叩いた。飲み足りなかつたらしい。飲み屋は店を閉ぢたところだつたので、ネル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルにねばられるのが厭だつたから戸を開けやうとしなかつた。「ええ、ままよ」そんなことを呟いて彼の遠距《とおざ》かる跫音《あしおと》がしたが、翌朝行人によつて、そ
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