ら申す通り、お主の一命にかかわることが起るかも知れぬ」
 オレは即座に肚をきめた。斧をぶらさげて立上った。
「お供しましょう」
「これさ」
「ハッハッハ。ふざけちゃアいけませんや。はばかりながら、ヒダのタクミはガキの時から仕事に命を打込むものと叩きこまれているのだ。仕事のほかには命をすてる心当りもないが、腕くらべを怖れて逃げだしたと云われるよりは、そッちの方を選ぼうじゃありませんか」
「長生きすれば、天下のタクミと世にうたわれる名人になる見込みのある奴だが、まだ若いな。一時の恥は、長生きすればそそがれるぞ」
「よけいなことは、もう、よしてくれ。オレはここへ来たときから、生きて帰ることは忘れていたのさ」
 アナマロはあきらめた。すると、にわかに冷淡だった。
「オレにつづいて参れ」
 彼は先に立ってズンズン歩いた。

          ★

 奥の庭へみちびかれた。縁先の土の上にムシロがしかれていた。それがオレの席であった。
 オレと向い合せにエナコが控えていた。後手にいましめられて、じかに土の上に坐っていた。
 オレの跫音《あしおと》をききつけて、エナコは首をあげた。そして、いましめを解けば跳びかかる犬のようにオレを睨んで目を放さなかった。小癪な奴め、とオレは思った。
「耳を斬り落されたオレが女を憎むならワケは分るが、女がオレを憎むとはワケが分らないな」
 こう考えてオレはふと気がついたが、耳の痛みがとれてからは、この女を思いだしたこともなかった。
「考えてみるとフシギだな。オレのようなカンシャク持ちが、オレの耳を斬り落した女を咒《のろ》わないとは奇妙なことだ。オレは誰かに耳を斬り落されたことは考えても、斬り落したのがこの女だと考えたことはめッたにない。あべこべに、女の奴めがオレを仇のように憎みきっているというのが腑に落ちないぞ」
 オレの咒いの一念はあげて魔神を刻むことにこめられているから、小癪な女一匹を考えるヒマがなかったのだろう。オレは十五の歳に仲間の一人に屋根から突き落されて手と足の骨を折ったことがある。この仲間はササイなことでオレに恨みを持っていたのだ。オレは骨を折ったので三ヵ月ほど大工の仕事はできなかったが、親方はオレがたった一日といえども仕事を休むことを許さなかった。オレは片手と片足で、欄間のホリモノをきざまなければならなかった。骨折の怪我というものは
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