くそこが変だと思っていたが、肩一面に血でぬれていた。ウスベリの上にも血がしたたっていた。オレは何か忘れていた昔のことを思いだすように、耳の痛みに気がついた。
「これが馬の耳の一ツですよ。他の一ツはあなたの斧でそぎ落して、せいぜい人の耳に似せなさい」
 エナコはそぎ落したオレの片耳の上部をオレの酒杯の中へ落して立去った。

          ★

 それから六日すぎた。
 オレたちは邸内の一部に銘々の小屋をたて、そこに籠って仕事をすることになっていたから、オレも山の木を伐りだしてきて、小屋がけにかかっていた。
 オレは蔵の裏の人の立ち入らぬ場所を選んで小屋をつくることにした。そこは一面に雑草が生え繁り、蛇やクモの棲み家であるから、人々は怖れて近づかぬ場所であった。
「なるほど。馬小屋をたてるとすれば、まずこの場所だが、ちと陽当りがわるくはないか」
 アナマロがブラリと姿を現して、からかった。
「馬はカンが強いから、人の姿が近づくと仕事に身が入りません。小屋がけが終って仕事にかかって後は、一切仕事場に立ち入らぬように願います」
 オレは高窓を二重造りに仕掛け、戸口にも特別の仕掛けを施して、仕事場をのぞくことができないように工夫しなければならないのだ。オレの仕事はできあがるまで秘密にしなければならなかった。
「ときに馬耳よ。長者とヒメがお召しであるから、斧を持って、おれについてくるがよい」
 アナマロがこう云った。
「斧だけでいいんですか」
「ウン」
「庭木でも伐ろと仰有《おっしゃ》るのかね。斧を使うのもタクミの仕事のうちではあるが、木地屋とタクミは違うものだ。木を叩ッ切るだけなら、他に適役があらア。つまらねえことでオレの気を散らさねえように願いますよ」
 ブツブツ云いながら、手に斧をとってくると、アナマロは妙な目附で上下にオレを見定めたあとで、
「まア、坐れ」
 彼はこう云って、まず自分から材木の切れッ端に腰をおろした。オレも差向いに腰をおろした。
「馬耳よ。よく聞け。お主《ヌシ》が青ガサやチイサ釜とあくまで腕くらべをしたい気持は殊勝であるが、こんなウチで仕事をしたいとは思うまい」
「どういうわけで!」
「フム。よく考えてみよ。お主、耳をそがれて、痛かったろう」
「耳の孔にくらべると、耳の笠はよけい物と見えて、血どめに毒ダミの葉のきざんだ奴を松ヤニにまぜて塗りたくッて
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