でもない。なぜかというと、この餅は餅米のツブだらけで、粗製乱造の賃餅だ。自家用にこんな粗製乱造の餅をつくることはないものだ。私が犯人でないというレッキとした証拠を見せてあげるから、待っていなさい」
助六は自宅へ走って帰って、五ツ六ツ餅をとって戻ってきた。
「ごらんなさい。これが私の家の餅だ。この餅を同じように焼いてお見せするから、泥棒の餅とくらべてごらんなさい。中を割って、ツキぐあいを見れば一目でわかる。さ。手にとって、中を割ってごらんなさい。一方はツブだらけ、私のにはツブがなく、ひッぱればアメのようにのびる」
「一方は焼きたてだからのびる。冷えてしまえば、のびる筈がない」
「ツブを見てごらん」
「なに、冷えたからツブができたのだ」
「そんなバカな。じゃア私のも今に冷えるから、そのときツブがあるかどうか見てごらん」
「冷えたてはツブができない。こッちは一晩たってるからツブができたのだ」
「餅のことを知りもしないで、何を云うか」
「なんだと? 餅のことを知らないと? 知らない者に餅を見せて、なぜ証拠調べできるか。それでは証拠調べではなくて、皆を口先でだまして、証拠をごまかすコンタンであろう」
田舎の人というものは、論争の屁理窟の立て方に長じていて、それにまきこまれてしまうと正常の理窟は役に立たなくなってしまう。またその論争を聞く人々も自分の感情や意地にからんで手前流に判断するから、こうなると、助六に歩《ぶ》がない。一同はワアワアと立ち上って、
「そうだ。そうだ。杉の木は村の者を口でだますコンタンだ。自分だけ餅を知ってるようなことを云うが、そうは、いかねえぞ。オレは米をつくる百姓だ。五十八年も野良にでている百姓だぞ。餅のことぐらい知らないで、どうするか」
「そうだとも。オレは野良にでて六十三年になる。農作物のことなら、隅から隅まで知らないということがないぞ」
「理学の原理によれば、焼いた餅が冷めたくなると、ツブができるとされている。一晩すぎると、ちょうどツブができるな。しかしだな。ただ冷えただけでは、そうはいかないが、氷のはるような寒い晩に吹きさらしにされていると、特別そうなるものだ。カンテンと同じようなものだな。魚のニコゴリも理窟はそれに似ている。これは理学上の問題であるが、オレは昔三年間ばかりその方の研究をしたことがあって、そもそもカンテンは海からとれた植物を山中に運んで寒風にさらしてカンテンとする。海からとれた植物の名は何かと云えば、これをテングサという。このテングサを海からとる者はフシギにもこれが漁師ではなくて、それはアマという女である……」
大混乱のうちにすでに結論はついていて、助六は犯人ということに定まっていた。かように大河の流れるような強力な結論に対しては小なる個人の抗弁の余地はありッこない。敵には農学博士どころか理学者もおればまた天眼通や何が現れるか見当がつかないのである。
助六は悲憤の涙をのんでわが家へ帰り、その晩からどッと発熱して寝こんでしまった。
パチンコ開店
平吉の提案で村の有志が会合した。席上、平吉は沈痛な面持で立上り、
「杉の木も高熱を発して寝こんだそうであるが、自業自得とは云いながら、まことに気の毒なことである。彼を罰するには情に於て忍びがたいところであるが、彼がそもそもかかる悲運におちいって高熱を発するに至ったのも、即ちひとえにウスとキネを村内に持ちこんだがために祖先の霊のタタルところとなったがためである。即ち彼のウスとキネを焼却することは、祖先の霊をなぐさめて村の安泰をはかるためばかりではなくて、彼の生命を救うことにもなるのである。ここに我々は強力な村民の決議をもって、彼のウスとキネを焼却させたいと思うが、いかがであろうか」
「それはよい考えだ。昔から一村こぞッて餅を食べない習慣の村だから、一軒だけ餅をたべるというのは村のためによいことではない。村の者は同じ一ツの心でなければならないから、杉の木のウスとキネは焼いた方がよいな」
こういう決議がきまって、平吉が代表の先頭に立って、助六の病床を訪れ、
「お前もウスとキネのために御先祖様御一統のタタリをうけて、まことに気の毒だ。そのタタリを払うためにウスとキネを焼くことにきまったから、これからは心を入れかえて、みんなと仲よくやってもらいたい」
家族の者にウスとキネをださせ、これを河原へ運んで神官に清めてもらって灰にした。助六は観念したのか、一言も物を云わず、彼らの為すがまま見送ったのである。さて熱がさがって病床から起き上った助六は、家にいても面白くないので、朝食がすむと弁当もちで自転車にのって町へでかける。彼はパチンコにこりはじめたのである。
家族の者は彼の心事に同情していたから、はじめは文句も云わず、彼の代りに野良へでて彼の分も働いていたが、毎日パチンコの損がかさんでキリがないので、誰もよい顔をしなくなった。彼の家も終戦このかた農村の不景気風に貯えというものはなくなって、余分にお金のある身分ではない。そこで長男が一家を代表して助六に説教して、
「オレだって今度のことは残念でたまらないし、お父さんが可哀そうだと思っているが、我々若い者の目から見ればお父さんが犯人でないのは判りきっているのだ。しかし、今度の騒ぎは我々にとっては村の年寄どもの茶番劇のようにしか思われないから、みんながお父さんに同情はしているが、バカバカしくッて、口だししたくもないのさ。しかし、若い者の同情も、お父さんがあんまりダラシなくパチンコにこッているから、ちかごろではだんだん軽蔑に変っているよ。だから、そろそろマジメに働きなさい。村の若い者はみんなお父さんの味方なんだ」
助六は濁った目を光らせた。
「味方がなんだ。同情なんて、クソくらえだ。オレの身代をオレがパチンコでつぶすのが悪いか。軽蔑したけりゃ勝手に軽蔑するがいいや」
「パチンコしたいのはお父さんばかりじゃないよ。村の若い者はみんなパチンコしたがっているが、それを我慢して働いてるんじゃないか。少しは若い者を見習ってもいいと思うな」
「イヤだ。オレは今まで働いた分をパチンコで遊ぶのだ」
「お父さんの働いた分はもうなくなったよ。うちの財産は野良に作った物だけになったんだから、もうお父さんのパチンコの金はないね。もっともお父さんが野良で働けば別だがね」
助六は目玉をむいたまま、そッぽを向いて、それに返事をしなかった。
それから五六日、助六は相変らず弁当持ちで朝から晩まで家をあけていたが、ある日突然人夫をよびこんで、庭の真ン中の自慢の杉の木を切ってしまったのである。助六はまず自分の手で杉の木にまいたシメナワを切った。もともと自分の手で神木に仕立てたのだから、シメナワを切っても神威を怖れるには当らないが、どういうわけか、それから彼はキリリとハチマキをしめて、六尺ぐらいの棒を握って、門の前にがんばったのである。
この知らせをきいて、長男や女房が野良から駈けつけてみると、キコリたちがエイエイと大木に切りこんでおり、門前には助六が六尺棒を握りしめて、女房子供もよせつけない。
「杉の木が倒れるまでは誰も門の中へ入れないぞ。あッちへ行っておれ」
「だって杉の木が倒れれば塀も倒れてしまうじゃないか。塀につづいて、土蔵や物置も危いかも知れない」
「それぐらいのことは、さしたることじゃない。雷が落ちて倒れた時のことを思えば、なんでもないことだ。落雷だったら、母屋の方へ倒れるかも知れないのだ。二度とインネンをつけると、この棒が物を云うぞ」
見ると助六の顔は妙にゆがんで目がつりあがっている。その目にはドロンドロンと変な焔が吹きあげていて、まったくいつ六尺棒が襲いかかるかはかりがたい殺気がこもっている。まるで発狂したような物凄さだ。村には助六を説得できるような人物もいないことだし、女房も長男も仕方なく、野良へ引き返した。見ているよりも、野良で働いている方が気が楽だったからである。そして杉の木は切り倒されてしまった。杉の木の根の方が三尺ほどと、頭の方が一間ほど切り落されて、あとの部分は買った人が数日がかりで運び去った。
切り落した根と頭の部分は助六のよんだ人足が運んで行った。そしてそれから十日ほどの後、助六は紋服に袴、頭には山高をかぶって家をでたが、その夕方、大八車につきそって戻ってきた。その車にはシメナワをまわして御幣を立ててウスとキネが御神体のようにのッかっていたのである。
「これが先祖代々わが家に伝わった御神木の根の方と頭の方だ。以後これが当家の家宝であるから、火事があっても、これだけは守らなければならない。また、新年には、これで餅をついて賑やかに祝え」
ウスとキネを神棚の下にすえて、彼は家族に申し渡した。
「これからはオレも生れ変って働く。オレはオレで働くから、お前たちは今まで通り、野良で一生ケンメイ働くのだぞ」
彼自身は野良にはでなかった。大工を入れて、杉の木が倒れて塀のこわれた場所で、自ら指図してせッせと工事をはじめた。塀の修繕ができるものと思っていたところ、ある夕方戻ってみると、ウナギの寝床のような小屋ができあがっている。翌日は看板屋がきてペンキの看板を書き、また翌日には一台のトラックがパチンコの機械を運びこんだ。女房や長男が表の方へまわってみると、看板には「大当り神木軒」とあった。そこは往還に面しておらず、畑に面し、細い野良道の中途であった。つくづく呆れた長男が、
「表通りならいざ知らず、野良道にパチンコ屋をたてたッて景気がでるものか。第一、通行人が気持をそそられないじゃないか。モグラかカラスでもお客にするがいいや」
と冷笑したが、助六は落ちつき払って答えた。
「ここは御神木の倒れた場所だから、大当りうけあいだ。客も大当り、店は尚のこと大当り、神様の加護がある場所だ」
しかし店は繁昌しなかった。昔憲兵伍長だった男が彼のこの挙を評して、ヒットラーの策戦よりも意表をつくものだと云ったが、どうやら助六もヒットラーと同じように失敗した様子である。要するに餅のタタリだと云われている。
底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部 第六巻第一号」
1954(昭和29)年1月1日発行
初出:「講談倶楽部 第六巻第一号」
1954(昭和29)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:藤原朔也
2008年5月10日作成
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