ろに、日当りのよい前庭に百坪もある円い池のある農家があった。その池には先祖からの鯉がいっぱい泳いでいて、それだけでも一財産だと云われているほどの池だから、この家はいつのころからか円池《まるいけ》サンという通称でよばれるようになっていた。
 年の暮も押しつまって明日は新年という大晦日の夜更けに、円池の平吉という当主が便所に立ったところ、その晩はカラッ風のない晩で、そういうときのシンシンとした寒さ静けさはまた一入《ひとしお》なものだ。思わず足音を殺すようにして廊下を歩いていると、庭でコツンバシャンとかすかな音がする。立ち止って耳をすますと、どうも氷をわる音だ。まだ氷が厚くないらしく、竹竿ようのもので誰かが池の氷をわっているようである。
「さては鯉泥棒だな。大晦日だというのに商売熱心の奴がいるものだ。大方正月のオカズにしようというのだろう。悪い奴だ」
 そッとシンバリ棒を外した平吉が、ガラリと戸をあけると、その棒をふりかぶって、
「この泥棒野郎!」
 と暗闇の中へおどりこむと、泥棒は竹竿を池の中へ投げすてて逃げてしまった。家族の者がおどろいて起きてきたので、平吉はチョーチンをつけさせて池のフチへ行ってみると、池の中に浮いてるのは彼の家のホシモノ竿であるが、そのほかに安物のツリ竿、ビク、そして手ヌグイ包みが一ツ落ッこちている。包みの中から見なれない変なものがでてきた。
「魚の餌しては変だなア。なんだろう? まだ、ビクはカラだな。一匹もつらないうちに、道具一式おき忘れて逃げちまやがった。いい気味だ」
 そこで平吉は戦利品を屋内へ持ち帰って、
「これを取りあげちまえば、もう今晩は盗みができない。一本十円ばかりのこの安竿で何百円何千円という鯉を盗みとろうとはふとい野郎がいるものだなア。アレ。ビクの中にエサのネリ餌があらア。するとこの手ヌグイ包みは何だろうな」
 電燈の下にひろげてみると、矩形の変にやわらかな焼いた物だ。
「こりゃア餅じゃアないか」
「そうだわ。焼いた餅だわ」
「してみるてえと、魚のエサじゃアなくて、泥棒のエサだな。これを食いながらノンビリ鯉をつるつもりだったんだなア。泥棒を遊山《ゆさん》と心得てやがる」
「ですが、新年のお餅でしょうから、この村の人じゃアありませんね。村の者はこんな悪いことはしませんよ」
「なるほど、そうだ。この村の者は新年に餅なんぞ食いやしねえな
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